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宮澤篤史です。第1回~第4回まで、図書館の多文化サービスについて記述してきました。そうした多文化サービスの状況は、当然ですが日本社会の多文化・多民族化の状況を色濃く映し取ります。第5回となる今回では少し図書館という話題から離れ、日本社会の多文化・多民族化の状況を知ることができる近刊図書をご紹介します。
ルポルタージュや取材記 ― 多文化・多民族化する場を描く
日本の各地域の多文化・多民族化の状況の「現場感」を知りたいときに役立つのは、ルポルタージュや取材記でしょう。文化的・民族的な多様性の度合いが強い地域での取材をもとにした以下のような本は、人びとの息遣いや暮らし方、地元日本人住民との関わり方(時には軋轢)を地に這うような視線で描き出してくれます。
外国籍人口がおよそ40%におよび、近年はベトナムやネパールなど東南アジア出身者も増加していることから、従来呼ばれていたコリアンタウンから多民族タウンとしての様相を強めている新大久保(東京都新宿区)を取材した室橋(2020)<①>。中国出身者を中心とした外国籍住民が半数に達した芝園団地(埼玉県川口市)に、実際に筆者が居住するなかで見えてきた世界を描いた大島(2019)<②>。同じく団地での移民との共存への課題を、排外主義や入居者の高齢化の課題とも絡めて記述した安田(2019)<③>が挙げられます。
外国人労働者や外国に(も)つながる子どもたち
日本で「多文化共生」、ないし「多様性/ダイバーシティ」といったことばで目指され表象されるのは多くの場合、多様な人びとが差異を認め合いながら軋轢なく共に生きる社会です。ですが、実際には制度的、構造的課題から権利が保障されず、困難な生活を強いられ、さらには「見えない存在」となっている状況があるのも事実です。
ここでは外国人労働者と外国に(も)つながる子どもたちの困難を取材した新聞取材班による図書を挙げます。西日本新聞社(2020)<④>は、留学生や実習生の名の下で外国人を(実質的な)単純労働者として受けている日本社会の負の側面を描き出しています [注1]。この外国人労働者受け入れに関する問題点については、望月(2019)<⑤>に新書として端的にまとめられています。また、外国に(も)つながる子どもたちの教育面での課題について取材しているのが、毎日新聞取材班(2020)<⑥>です。この取材記は、国籍、また、民族・言語・宗教的に「日本人」と異なることを理由に、日本で生活する学齢期の子どもたちが教育や他者との関係性から排除されている現状があること。それが多くの場合、数が少ないことや制度上の課題からかれらの存在が社会的に認識されないことに起因することを浮き彫りにしています。
- <④>西日本新聞社,2020,『【増補】新移民時代――外国人労働者と共に生きる社会へ』明石書店.(初版は2017年)
- <⑤>望月優大,2019,『ふたつの日本――「移民国家」の建前と現実』講談社.
- <⑥>毎日新聞取材班,2020,『にほんでいきる――外国からきた子どもたち』明石書店.
コロナ禍と移民・外国人
コロナ禍では誰もがパンデミックの影響を被っていますが、その影響は弱者やマイノリティにより重くのしかかっていると考えられます。図書館サービスに関しても、パンデミック下での対面サービスの提供比率低下がデジタルデバイドや社会的排除の状態にある利用者を取り残してしまうリスクがあるとの指摘があり(Rosales 2021)、社会における脆弱な存在をいかに包摂できるかは喫緊の課題であるといえます。
鈴木編(2020)<⑦>は、コロナ禍で移民/外国人が直面する困難に目を向け、日本社会の脆弱性がどのような人たちの前に偏ってあらわれるのかを議論しています。毛受(2020)<⑧>はパンデミック以降、つまりポストコロナを見据え、人口減少時代のレジリエンス(復元力、危機対応能力)をいかに高めていけるかを展望する内容となっています。
- <⑦>鈴木江理子編,2021,『アンダーコロナの移民たち――日本社会の脆弱性があらわれた場所』明石書店.
- <⑧>毛受敏浩,2020,『移民が導く日本の未来――ポストコロナと人口激減時代の処方箋』明石書店.
多文化社会日本を批判的にまなざすために
最後に、各地域の状況や、各論的な日本社会の現状を知ることから一歩進んで、多文化・多民族化する日本社会をより批判的にまなざすために有用な図書を、数あるなかから1点挙げておきます。
宮島(2021)<⑨>は日本の移民受け入れの過程、また、「イミグレーション政策」の現状(労働、教育、国籍、地域参加)が、どのように排除の契機を孕んできたのかを問うことで、多文化共生社会のために何が必要か、その条件を論じています。また、ヨーロッパ(主にフランス)との比較のうえでの議論であることから、他国と照らしてどうなのかという日本の相対的な位置づけを知る助けともなるでしょう。
[注] 写真はいずれも筆者撮影。
[注1] 日本は1960年代より、単純労働者を受け入れないという方針をとっている(松下・石川 2022)。
[参考資料・参考文献]
松下秀雄・石川智也,2022,「「すでに『移民社会』の日本」を直視できない私たち~髙谷幸・東京大准教授に聞く(上)」論座,2022年2月14日取得,https://webronza.asahi.com/politics/articles/2022021200002.html?page=2).
Rosales, Nelson. “Public Library Responses to COVID-19: An Investigation & Reflection of Canadian Experiences.” Emerging Library & Information Perspectives, 4(1): 169-185.
管理人キーマスター「困難」にいかに向き合うか?
中村百合子です。今学期(2022年春学期)、大学院のゼミの履修生は3名でした。ゼミのテーマは、前年度の秋に、私のもとにいる、一名の修士院生と相談して、大きく、「マイノリティおよび先住民のための教育」に設定していました。結果、このテーマに関心をもった三人の修士院生が集まってくれました。私の院のゼミは毎年、受講生たちがそれぞれに自分の修士論文のテーマと、ゼミのテーマの関連のもとに、探究するテーマを設定し、それぞれに検討・報告する文献を持ち寄る形にしています。今年は、次の三冊を各学生が選択肢+最後に三人の希望で『公共性』という一冊が加わり、計四冊を検討しました。いつの間にか、ゼミのテーマは「被抑圧者」になっていました。
- 大森一輝『アフリカ系アメリカ人という困難:奴隷解放後の黒人知識人と「人種」』彩流社,2014.
- 中島恵『日本の「中国人」社会』日本経済新聞出版,2018(日経プレミアリシーズ).
- パウロ・フレイレ著,三砂ちづる訳『被抑圧者の教育学』亜紀書房,2018(50周年記念版).
- 齋藤純一『公共性』岩波書店,2000(リシーズ 思考のフロンティア).
『日本の「中国人」社会』は新書形式なので、読みやすいですが、中国からの留学生がかなりクリティカルな目線から報告したので、大いに盛りあがりました。フレイレの『被抑圧者の教育学』は私にとってもバイブルと言える一冊ですが、私が院生のころには、1979年出版の、英語からの日本語訳のこの版でみな、学んでおり、2011年と2018年に三砂氏によって、ポルトガル語を翻訳したものが出されていました。この新訳と旧訳を照らし合わせ、翻訳書で学ぶという課題に思いっきりぶつかり、挫折感をみなで抱きながら、少しずつ議論を進めました。この一冊については、また改めて、大学院生たちと一緒に読みたいなと強く思っています。
さて、今回読んだ中で、私にとってとりわけ新鮮だったのが、『アフリカ系アメリカ人という困難』という一冊でした。出版当時、『日経新聞』にも、『アメリカ太平洋研究』にも、『西洋史学』にも、『アメリカ史評論』にも、書評が出ていましたが、不勉強な私は、学生に教えてもらって今回、知りまして、これまで読んでいませんでした。
同書の、8人のアフリカ系アメリカ人の歴史的な人物を取りあげて、各人がどのように「アフリカ系アメリカ人という困難」に向き合ったか、その活動や思想を分析するという研究手法は、私が少しずつ進めてきている、司書教諭や司書の方たちのライフストーリーを書き残すという作業 [注1]と動機を一にしていると思いました。日本の学校図書館で働く人たちは、たいてい職場に一人なので、周りの人たちに自分の仕事を理解してもらい、正当に評価してもらうために、工夫をする必要があり、そのことから一人静かに努力しないとなりません。それは、アフリカ系アメリカ人の方たちがマジョリティの白人たちと同じように認められていくためにしてきた工夫や努力とはもちろん異なりますし、日々何を思い、どのようにして周囲の理解を求めることとしてふるまうか、さまざまな「困難」へのアプローチはほんとうに一人一人、異なります。「困難」を見つめることを避け、解消に一切関心をもたない人も多いです。でも、多かれ少なかれ、みな、自分が所属するコミュニティでより快適に生き、正当に働きを認められるように、工夫し、努力するものですよね。そのライフストーリーを書き残す作業を、私としてはしているつもりです。時代や置かれた場所の制限の中で、何をどのように求めたかをみていくと、学校図書館専門職とは何かがみえてくるような気がするのです。そして、こうしたライフストーリーの記録が、読み手・聞き手に自らの生き方を考えさせてくれるという点は共通していると思います。
所属を変える苦しみ
この授業に先だった春休みに私は、『ホワイト・フラジリティ:私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?』(ロビン・ディアンジェロ著,上田勢子訳,明石書店,2021)を読んでいました。この一冊もいろいろなところで取りあげられていて、大変、広く読まれている一冊ですね~(Editor’s Bookshelf4として次に取りあげようと思っています)。この本と合わせて、トランプ大統領が誕生した2016年に出版されてベストセラーとなり、2020年にはNetflixで映画化もされた、『ヒルビリー・エレジー:アメリカの反映から取り残された白人たち』(J. D. ヴァンス著,関根光宏・山田文訳,光文社,2017)と、同じころに出された類似のテーマの本『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人びと:世界に吹き荒れるポピュリズムを支える”真・中間層”の実体』(ジョーン・C・ウィリアムズ著,山田美明,井上大剛訳,集英社,2017)も読んでみました。アメリカはこの秋、中間選挙で、トランプ前大統領や彼を支持している白人の人たちがしょっちゅう日本のマスメディアでも話題にされていますし、そのことを改めて考えてみたくなったのです。
『ヒルビリー・エレジー』の筆者のJ.D.ヴァンス氏は、ヒルビリー(hillbilly)つまりアパラチア山脈地方の人(に向けられた蔑称)のアイデンティティをもって育ち、海兵隊、オハイオ州立大学を経て、イエール大学の法科大学院を出ました(この秋、11月の中間選挙でオハイオ州から共和党候補者として立候補しています)。エレジー(elegy)つまり哀歌というタイトルのとおり、同書では、経済的に不安定で、アルコールや薬物への依存症や暴力などが身近に日常的に存在するコミュニティにあって、できる限りの、いや、惜しみない愛情を注いでくれ、希望を見せようとしてくれる大人たち、そして努力する著者が描かれています。そのことを著者は冒頭で、「アパラチアに暮らすヒルビリーの家族の目を通して見た、社会的機会と社会的地位上昇の歴史を描いている」(p.17)と説明しています。まさにそうです。
この本の中では、図書館が三か所(p.105,111,350)で言及されていて、最初の2カ所は共に母親が公共図書館の利用を手引きしてくれる話で、最後の一か所は大学院生時代に「自分のなかの怪物」と闘うために、図書館に自ら行って調べるという話です。私の目には、図書館も著者の社会的地位上昇やいわゆる成長に貢献している、希望を図書館が、図書館の利用を手引きしてくれた母親が示してくれたという、とってもいい話にもちろん見えます。そうなのだけれど、ここで私が同書の読後感として書きたいのはそのことというよりも、そうした社会的地位上昇という所属グループを移動するその過程においてだけでなく、いわゆるエリート、法科大学院の卒業生という高級専門職の一員になった後も、著者が自らが育ったコミュニティで支配的な文化との乖離から葛藤し続け、ある意味で苦しみ続けているということの衝撃です。あっけらかんと、移れてよかったという話ではない。彼が描いたもう一つの「哀愁」が、彼の感性の豊かさを示しているように思われ、哀しいけれど、いいなあと思いました。彼が政治家として、ヒルビリーのアイデンティティをいい形で活かしてくれたらと思います。
同じ白人と言っても、田舎の小さな町に留まり安定した職に就くことが難しい状況から抜け出せないグループと、高等教育に進み、イエールのようないわゆる名門の法科大学院を出たグループとの間に大変な文化の違いがあり、互いに理解することが困難で、時と場合、人によっては、理解できないことから敵意のような感情すらもつという [注2]、そういう状況になっているという、その問題の深刻さは重大だと思います。少し話はズレますが、メディアバイアスチャートがアメリカでは複数、作られています(Ad Fontes Media社によるもの;AllSides社によるもの)。それぞれに熱心な読者がいるとすると、インターネット上のフィルターバブル同様、マスメディアによってもバブルの中に人びとは孤立していっているわけですね。そして、『ヒルビリー・エレジー』に描かれているように、日常の所属するコミュニティ(家庭,親族,学校等)における日常会話の中でも、人はある種の偏見を日々強化していく。『アフリカ系アメリカ人という困難』でも、同種の動きが描かれています。そして、そのアフリカ系アメリカ人のコミュニティから抜け出そうとしたり、そのコミュニティを変革しようとしたりする8人が、それぞれに正しいと思う戦略で、奮闘していくわけですが……白人の間にも、アフリカ系アメリカ人の間にも、抑圧的環境から少しだけ抜け出したのかもしれない専門職らのグループと、専門職らのグループから見ると被抑圧者に見える労働者グループという二つのグループ間の緊張関係という構造があるのだと思いました。
「文化」の乖離
『ホワイト・ワーキング・クラス』では繰り返し、白人の労働者たちと専門職のエリートの文化が次のように対照されて示されます。腑に落ちることがいっぱい![注3]
もちろん専門職のエリートも勤勉さを重んじている。だが意味が違う。ワーキング・クラスにとって勤勉さとは、自分を厳しく律し、「反抗的な態度」を取らない(権威に従う)よう自分の気持ちを抑え、好きでもない単調な仕事を40年間続けることだ。一方、エリートにとって勤勉さとは、自己実現のための手段である。エリートは仕事で「対立」しても、新規事業を立ち上げ、それを成功に導けばいい。だがワーキング・クラスが仕事で対立すれば、職を失う。(p.40)
ワーキング・クラスからすれば、専門職は常にあこがれの対象というわけではなく、その能力を疑いの目で見ている場合が多い。管理職のことは、「何をどうすべきかまるで知らないくせに、人にどう仕事をさせるべきかについてはいろいろと知っている大学出のガキ」としか考えていない。バーバラ・エーレンライクは1989年の著書の中でこう回想している。「ワーキング・クラスだった父は、『医者』と言うときには必ずその前に『やぶ』をつけていた。弁護士は『悪徳弁護士』で、(中略)教授は例外なく『にせ教授』だった」。社会学者のアネット・ラローも、医師など医療の専門家への不信感を指摘している。またワーキング・クラスの親は、子供の教師に反感を抱き、こちらを見下していてまるで役に立たないと考えているという。教職員組合を攻撃する保守派をワーキング・クラスが支持する理由は、そこにもあるのだろう。(p.48)
伝統的な家族的価値観に重きを置く態度もまた、専門職階級との対立を生み出す原因となる。エリートは、自分が洗練されていることを示すために、アバンギャルド(前衛的)な性的傾向、自己実現、家族形態に寛容な態度を示す。アバギャルドは、19世紀初めに始まった、「主に文化的な領域で、規範や体制として受け入れられてきたものの境界を押し広げる」芸術運動である。この、当時のヨーロッパの芸術家の間で始まった「慣習への挑戦」が、21世紀アメリカのエリートの文化世界に受け継がれている。彼らエリートは”小市民”とは違い、アバンギャルドな性的傾向を受け入れることを誇りとする。(後略)(p.59-60)
ワーキング・クラスの男性は、こうした仕事へのこだわりに反感を覚える。あるセールスマンは、あまりに働きすぎる人びとを「何も見えていない」と非難する。「人生をすっかり見失っている。(中略)取りつかれたように意欲的な人というのは、自分が目指している地点以外、何も見えていない」。ワーキング・クラスの男性に言わせれば、仕事第一主義は単なる自己陶酔に過ぎない。ある電気技師は言う。「あいつらは自信家で、自分のことだけにかまけ、ほかの人のことを気にかけない。(中略)いつも自分、自分、自分だ。おれはそんな人間じゃない。だからあいつらのことを好きになれないんだろう」(p.67-68)
大学という、アメリカの中でも特殊な(メディアバイアスチャート的に言えばどっぷりと左側に位置する)コミュニティの人たちとばかり交流している私には、こうした本を通してしか、そのコミュニティの外の人たちの文化にほとんど出会言えません。正直に言うと、本で読んでも、実はわかっていないだろうと思います。むしろ、本を通して、わかった気になったり、偏見をもったり、悪影響を受けているという面が大きいような気がします。国内であっても、例えば、誰が、どのような思いで、自分が投票していない政党に投票しているのか、なんらかの統計データを見せられても、私はわかった気がしたことはありません。自分のこともですが、自分以外の人(個人・集団)を理解することはほんとうに難しい… [注4]
それでも、世界のあちらこちらのあらゆるコミュニティにどっぷり浸かって、その人たちを知って、ということは人生は短くて叶わないわけで、やっぱり本を通してでいいから知りたいなと思い、読んでしまう…悲しい性(さが)であります。本を読んでいる時間で、目の前の人やコミュニティともっと向き合いましょうというアドバイスがどこからか聞こえてきそうです。
[注1] Here Comes Everybody編集委員会『Here Comes Everybody : 足立正治の個人史を通して考える教育的人間関係と学校図書館の可能性』中村百合子,2011.;『私の学校図書館半生記:司書として、司書教諭として』編集委員会編『私の学校図書館半生記:司書として、司書教諭として』中村百合子,2013.;「子どもの読書活動と人材育成に関する調査研究」【地域・学校ワーキンググループ】報告書[付録]「読書教育専門職のライフヒストリーの聞き取り調査」(脇谷邦子氏(元・大阪府立図書館司書),宅間紘一氏(元・関西学院高等部読書科教諭兼司書教諭))。
[注2] SEKAI NO OWAEIのプレゼントという曲の歌詞を思い出しながら、ここを書いてみた。
[注3] 『ホワイト・ワーキング・クラス』中には、司書が一か所だけ、次のように、言及されているので、いちおう書いておく。「2006年、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、トーマス・エッゾールは、民主党の支持者を大きく二つに分類した。一つは社会的少数者、労働組合員、公務員、貧困層から構成される『下層支持者』たち。もう一つは研究者、司書、心理学者、人事担当の管理職、編集者などを含む「上層支持者」―つまり、しばしばビジネス志向のエリートと対置される存在である「改革志向のエリート」たちである。エッゾールは以下のように述べている。「高い教育を受け、自由主義の傾向が強く、しかも比較的裕福な改革志向のエリートは、民主党支持者のなかで大多数を占めるわけではない(40パーセント)。しかし、活発に政治活動を行う彼らが、実質的に民主党の政策の方向性を決定している」。こうした状況は2006年の時点だけでなく、今でも変わっていない。」(p.211-212) ここに書かれていることは、私が知っているアメリカのライブラリアンたちの政治志向や政治行動と一致しています。
[注4] 同じくSEKAI NO OWARIの最近のヒット曲Habitも、図書館情報学や社会学などなど…近代の学問に対する痛烈批判にも聞こえて、私はとても好きだ。この歌を、「燃えるゴミとか燃えないゴミとかとか…君らは分類しないとどうにも落ち着かない」と言いながら、ゴミの分類をしている人を見かけました…日本(地域によるのでしょうが)のゴミ分類って異様に細かくない?
管理人キーマスター安藤幸央です。本連載では「探究」のための各種ツールとその活用方法を紹介していきます。
連載第5回目は、情報の探し方を探す方法、すぐには見つからない事柄の探し方を指南します。
適材適所、適切なツールを使い分ける
みなさんも何か調べごとをするとき、自分なりのツールの活用や手法を持っていると思います。例えば、図書館や書店で、本を調べたり、家族や友人など周りの詳しそうな人に聞いてみたり、インターネット検索やSNSを活用して情報を集めたり。誰に聞いたらよいかわからない時などは、「緩募(急がないけど、情報を募集しているという意味)」とSNSに投稿し、広く情報を求めるといった探し方も有効です。
インターネット検索といえばGoogle検索やYahoo!検索が一般的です。たとえば天気を調べたい時、専用の天気アプリを使うよりも慣れているGoogle検索で調べるのが手軽な場合もあります。
用途別にSNS検索をうまく使い分けている人もいます。地震や停電があった時や、最新の話題を知りたい時、お気に入りのアーティストの情報はTwitterで検索、おしゃれなカフェや、レストラン、ファッション関連情報を知りたい時はInstagramでショップを検索、料理や道具の使い方、何かのやり方やコツであればYouTubeで動画を検索することが多いでしょう。
Twitter, Instagram, YouTube とも、ハッシュタグと呼ばれる「#」マークをつけて分類することで、お気に入りの情報を素早く見つけることができます。それに加えて検索による情報入手は信頼性や正確度も重要です。ちなみに今ではカテゴリ分類、キーワードによる分類の定番となっているハッシュタグ「#」は、Twitterの利用者が2007年に開催されたBasecampというイベントを盛り上げるために「#」をつけて投稿しよう!と呼びかけたのがきっかけと言われています。ハッシュタグの「#(ナンバー)」は音楽や電話ボタンにある「♯(シャープ)」とは異なります。
◆国立国会図書館 Webサービス一覧
● リサーチ・ナビ:調べ物に役立つ情報
● 国立国会図書館デジタルコレクション:国立国会図書館で収集・保存しているデジタル資料を検索・閲覧
● インターネット資料収集保存事業:日本国内のウェブサイトを定期的に収集して保存するウェブアーカイブとくにリサーチ・ナビでは、テーマから調べる、資料の種類から調べると、切り口を変えて探すことができます。「二次利用がしやすいデジタルアーカイブ(美術館)」、「マンガについて調べる」、「ポスターを探す」といった具体的なテーマごとのリンク集が充実しており、単なるキーワード検索では見つけられない情報にたどり着くことができるでしょう。
特定地域の統計情報や歴史などを調べる場合は、その地域の公共図書館の方が資料が充実している場合もあります。そういったニーズにはパスファインダーリンク集が便利です。
◆生活や実務に役立つ高精度計算サイト ke!san
ke!san(けいさん)というサイトでは、生活にまつわる様々な数字や計算方法を提供しています。電卓を販売しているカシオ計算機が運営しているサイトです。
白熱灯からLED電球に変更した際の節約できる金額の計算や、自動車通勤から自転車通勤に切り替えた場合の節約できる金額、カメラのフラッシュで綺麗に撮影できる距離の計算、厄年の計算など、ありとあらゆる「計算」にまつわる情報が集約されています。
◆統計局ホームページ
総務省統計局が提供している統計にまつわる各種情報を発信しているWebサイトです。2022年7月1日時点で、日本の人口は1億2484万人であること、日本の企業数は386万であることなど、刻々と変化する数字を最新の統計情報から知ることができます。
さらに、キッズすたっとという小学生、中学生向けに用意された統計情報検索サイトも便利に使えます。優しい口調、ふりがなつきの表示ですが、内容は大変充実しています。大人が平易に使うにも便利で、本格的な情報が得られます。
◆レファレンス協同データベース
探している事柄やテーマがあいまいで、どうやって探したら良いのか、何を調べたら良いのか分からない時に頼れるのは、全国の図書館に寄せられた質問とその回答、参照文献をまとめた「レファレンス協同データベース」です。
例えば「サンタクロース」のキーワードで検索すれば、なぜ靴下にプレゼントを入れるのか、赤い衣装を着ている理由は、女性のサンタは居ないのか?そもそもサンタクロースの起源はなんなのか?と、大人でもすぐには答えられないような問いに対して、納得感のある回答がまとめられています。
その他「江戸時代の酒税はどれくらい?」「大正時代の池袋駅周辺の土地価格が知りたい」といった探すのが難しい設問にも回答が寄せられています。また参照資料や、文献、ネット上の情報の探し方なども記載されているため、単に情報を得るということだけでなく、探し方そのものを理解し、自分でも探せるようになるのが良いところです。
また、国立国会図書館レファ協公式Twitterに頻繁に投稿される豆知識もおすすめです。「れはっち」と呼ばれるイメージキャラクターがレファレンスに掲載されている回答をピックアップして日々多数紹介してくれます。
「れはっち」のツイートを読んでいるだけで博識になったような気分になれることでしょう。管理人キーマスターNTTの藤田早苗です。この連載ではNTTで取り組んでいる絵本検索システム「ぴたりえ」関連の研究を中心にご紹介していきます。NTTでどうして絵本?と思われる方も多いと思います。そこで、第1回では、そもそもどうしてこのような研究を始めたか、から、絵本のデータ化の方法を紹介します。
「ぴたりえ」を作るきっかけ ~絵本さがしは難しい~
私事で恐縮ですが、私には子どもが3人います(娘2人と息子1人)。子どもって兄弟でも全然違うものですね。本好きになってほしいと思い、寝る前の読み聞かせを心がけていたのですが…。
好きな絵本を持ってこさせると、娘達は物語の絵本を持ってくるのに、息子は恐竜図鑑を持ってくるのです。正直私は恐竜にはまったく興味がありませんでした。それなのに、毎晩、延々と、恐竜の名前、体長、生きていた時代や地域を読まされるのです。おかげ様でずいぶん恐竜には詳しくなったと思います。でも私はせめて図鑑ではなく物語を読みたいと、図書館で恐竜の出てくる絵本を片っ端から借りて読んだのですが、ほどなく読みつくしてしまいました。しかも、図書館にある恐竜の出てくる絵本と図鑑を(おそらくすべて)読み切ったら、息子はもう図書館には行きたがらなくなりました。あせった私は、まだ読んでいない恐竜の絵本があるかもしれない、絵本でなくてもいいかもしれない、恐竜じゃなくても古生物やモンスターも好きかもしれない、と、息子が興味を持つかもしれない、読めるかもしれない本を探して図書館をさまよいました。ところが、図書館の何万冊もの本の中から、息子の興味を引きそうでちょうど読めそうな本を探すのは簡単なことではありませんでした。
この経験からできたのが、絵本検索システム「ぴたりえ」です(図1)。一人ひとりの子どもにあった読みやすさで興味のありそうな内容の絵本を簡単に探せるように、と、作りました。
「ぴたりえ」は2019年にNTTデータ九州社から商用化されました。福井県立図書館や石川県立図書館、幼稚園などでもすでに導入していただいています(お近くの方はぜひお試しください!)。いずれ全国津々浦々の図書館や保育園・幼稚園で使っていただけるようになって、絵本の読み聞かせに悩む親御さんの一助になれば、と、願っています。
絵本コーパスの必要性 ~あればうれしいことがある~
ところで、ここまで読んでくださった方は、私はシステム開発者か何かかな、と思われたかもしれません。が、残念ながら違います。私はNTTコミュニケーション科学基礎研究所に所属する研究員で、専門は自然言語処理(日本語や英語といった自然言語を機械で上手く扱うための研究分野)です。
自然言語処理には、機械翻訳、情報検索、対話システム、難易度推定などの研究も含まれます。すそ野の広い研究分野ですが、一つ大きな前提条件があります。それは「コーパス(=実際に使用された言語表現を集積、整理した言語データ(「言語情報処理 用語集」の「コーパス」の項を参照) )を使う」ということです。つまり、絵本を対象とするためには、絵本のコーパス、それも電子コーパスが欲しいのです。でももちろん、絵本のコーパスなんて存在しませんでしたから、まずは絵本のコーパス作成から始めるしかありません。
世の中に絵本のデータベースはいくつか存在しています。例えば鳴門教育大学で公開されている子どもの心を理解するための絵本データベースや、図書館の蔵書データベースも存在します。こうしたデータベースには、書誌情報やあらすじ、主題などの情報が収録されている場合がありますが、本文がそのままデータ化されていることは通常ありません。
そもそも本文をデータ化する必要ってあるの?と、疑問に思われる方もおられるかもしれません。でも「間違いなく必要です!」少なくとも自然言語処理的には。
人手で付与したあらすじや主題は、それはそれでとても役に立つと思います。でも、本文のデータがあればできることは飛躍的に増えます。絵本にはどんな語が出てきているのか、どのような構文がよくつかわれるのか、大人向けの文章と同じところ、違うところはどこか。推薦方法だって何通りも考えられます。絵本と言語発達の関係の研究にも役立ちそうです。
折しも2010年、著作権法の改正により「電子計算機による情報解析を行うことを目的とする場合には、必要と認められる限度において、記録媒体への記録又は翻案(これにより創作した二次的著作物の記録を含む。)を行うことができる」ようになりました(第47条の7)。2018年にはさらに改正されて、情報解析のためならば「いずれの方法によるかを問わず、利用することができる」ようになっています(第30条の4)。
つまり、著作権者に個別に許可を取らなくとも電子データ化して情報解析に利用できるようになったのです。そこで我々はさっそく絵本の電子データ化を開始することにしました。
電子データ化の方法 ~ひたすらがんばる~
ここからは、具体的にどのように絵本のコーパスを作っているかをご紹介していきます。
書誌情報はともかく、本文の電子データ化の方法は試行錯誤しました。絵本は絵の中に文字があることが多く、また、文字自体も飾り文字や手書き文字など凝っていることが多いので、OCRが難しいのです。また、そもそもOCRにかけるためには本文の画像データが必要ですが、当然そんなものはありません。結局、ほとんどの本文テキストを人手で入力するという地道な作業を行うことになりました。
入力用のエディタも構築し、ひたすら頑張って入力しています(図2,3:『雪わたり』宮沢賢治 原作, 方緒良 絵, 1991, 三起商行の例)。(文字が多いものはOCRも利用しています)
地道な努力の結果、2022年7月6日現在、NTTの絵本コーパスは、日本語約7,000冊・英語4,000冊という、世界に類をみない規模になりました。しかも今でも拡張中です。
第2回以降は、絵本コーパスを構築したからこそできた解析結果等をご紹介していきます。
参考資料
藤田早苗, 平博順, 小林哲生, 田中貴秋. “絵本のテキストを対象とした形態素解析”, “Japanese Morphological Analysis for Picture Books”, 自然言語処理, Vol. 21, No.3, pp. 515–540, 2014.
管理人キーマスター宮澤篤史です。今回は、多文化サービスの事例として、新宿区立大久保図書館の多文化サービスの実践を紹介します。新宿区は全国の自治体で在日外国人数が第1位であり、大久保地区に限れば外国籍人口は39.2%にも及ぶという多様な人びとが暮らす地域となっています[注1]。コリアンタウンとして知られる新大久保ですが、近年はベトナムやネパール系の人も増え、ハラル食品店やレストランが並ぶ「イスラム横丁」と呼ばれるエリアができるなど、多民族・多国籍タウンとしての様相を強めています。この文化的・民族的に多様な大久保という地域で、大久保図書館がどのようなサービスを、どのような理念のもと提供しているのか、館長のおはなしも交えながらご紹介します[注2]。
大久保図書館の多文化サービスの概要
新宿区立大久保図書館は多くの人で賑わう大久保通りからひとつ道を入った閑静な場所に位置し、大久保特別出張所と大久保地域センターが併設する建物の2階部分にあります。新宿区には中央館が1館と地域館が9館あり、大久保図書館は「多文化サービス」をコンセプトにもつ地域館です。
大久保図書館は多文化サービスを2010年頃から重点的に展開し、多言語資料の収集に加えて、多言語でのおはなし会、利用者どうしの交流イベントの実施など、サービスの幅を徐々に拡大してきました。その理念は「国境がない図書館」、キャッチコピーには「お国はどちら? 地球です」を掲げ、国籍や言語、民族の異なるあらゆる人びとに開かれた図書館をめざしています。
このような理念のもと、大久保図書館は多文化サービスを実践してきました。多言語資料は一般書、児童書併せておよそ2,800冊、言語数では36言語もの資料を所蔵しています[注3]。英語・韓国語・中国語をはじめ、ネパール語やタイ語、タガログ語など、欧州言語に限らず、大久保に近年増加する住民が使用するアジア諸言語が含まれています。日本語を母語としない利用者にとって、図書館に自分の言語の本が一冊でもあれば、「その地域に受け入れられている」「あなた疎外されていませんよ」というメッセージになるだろうと館長は話し、予算や人口構成を勘案しながら、さまざまな言語での資料収集を行ってきました。また、毎月第4土曜日には韓国語と日本語の2言語によるおはなし会を定期的に行いつつ、不定期でNPO団体や近隣の日本語学校との協力のもと、タガログ語やペルシャ語など、さまざまな言語を取り上げたおはなし会の実施にも力を入れています。
多言語での資料収集やおはなし会の目的
こうした多言語での資料収集やおはなし会の実施に関して、館長は「母語・母文化に触れる機会の提供」と「国際交流・相互理解の輪を広げる」ことに目的があると言います。これは当初から確固たる目的として定まっていたわけではなく、手探りでサービスを進めるなかで見出したものだそうです。そのきっかけになったのは、2014年に実施した「アラビア語のおはなし会」でした。以下、それを振り返った館長のことばを引用します。
いろいろと、おはなしだけじゃなくて、工芸品飾ったりとか民族衣装着たりとか、いろんなことやったわけです。けっこう皆さん来て試着して喜んでるし、ヤシの工芸品について質問したりとか、アラビア文字で名前を書こうって、こう、盛り上がってるわけですよ。そのときふと思ったんですけど、あの頃(2014~15年頃)って世界でテロとかあって、イスラム国とかあって、なんかこう、ああいう中東の世界に対する偏見みたいなのもあったと思うんですね。そういう意味ではこういう、向こうの文化を理解することも必要だなって思ったんですね。これは、母語に触れたいって人には大変いい機会にもなるし、もうひとつ、向こうの文化、異国の文化を知っていくって大事だなって思って、そういった二つの意味合いがあって、大事な試みだなって感じたんです。で、一つの「おはなし会」をきっかけにして母語に触れる場を提供すると同時に、国際理解・国際友好、そういった輪を広げるには絶対これはいい内容だ、って
アラビア語のおはなし会での参加者の反応を受けて、アラビア語圏出身者やそこにルーツをもつ利用者に限らず、そうではない利用者に向けても意味のある実践をしていることを意識するようになったそうです。これ以降、いろいろな言語でのおはなし会を実践していくようになったといいます。この実践からは、外国人や外国に(も)ルーツをもつ人たちだけでなく、「日本人」も対象としながら多文化サービスが実践されていることが見て取れます。冒頭で述べた「国境がない図書館」という理念は、「○○人って概念がない」「どの人に対しても一人を大事にしていく、大切に接していく」という姿勢に表れていることがわかります。
目の前のとにかく一人を大事にしていく。その人の背景にはやはり10人、20人、30人といる。そういった奥の人たちにも手が届くように、だからまずは目の前の人を大事にしていく。[中略]これは日本人もそうですね。それこそほんとに、「○○人」って概念はすてて、目の前の人を大事にしていく。そうすれば、「あそこの図書館はとても中国人に優しかったよ」、「タイ人だって、初めて行ったんだけどとても親切にしてくれた」って、それが絶対に、それこそ口コミで伝わるだろう、って
大久保図書館はこのような理念のもと多文化サービスを実施していますが、当初から順風満帆に進めていたわけではないといいます。洋書・外国語の資料を集めるというレベルで行われていた多文化サービスを2010年頃以降、韓国語・中国語に対応できるスタッフの配置、多言語資料のより積極的な収集、ニーズの把握や関連イベントの実施など、関係団体や個人との協力のもと模索しながら拡大してきました。
上掲右の写真には、中国語で寄せられたリクエストに対し中国語で「次もよろしくね」「身体気をつけてね」という内容の返事が書かれています。
「特別」ではないサービスとして
連載第2回「多文化サービスの歴史」でみたように、多文化サービスは障害者サービスの一部として発展してきました。それは住民の権利保障の観点から「特別」ではない「普通」のサービスを目指したものです。大久保図書館がめざす、「誰に対しても平等に、目の前の一人を大切に」という姿勢には、大久保図書館による多文化サービスの、「特別」ではない「普通」の、すなわち普遍的なサービスとしての性格を見てとれるのではないでしょうか。「外国人」と「日本人」という区別に基づいてサービスが展開されているのではなく、あくまでも利用者の個別化されたニーズに基づいたサービスの展開が行われているといえます。
ただ、「特別」ではないサービスという意味で、「やっぱりそれでも、外国の人はやだって人はいる」ということを事実として認識する必要があるとも館長はいいます。1980年代以降の外国人住民の人々の流入をはじめとし、大久保地区の外国籍人口は近年40%前後で推移しています。そのような劇的ともいえる地域状況の変化に戸惑う住民がいることは想像に難くなく、しかし、そうした住民も「外国人」と同様に大久保図書館を利用しているという事実は常に認識しておかなければならない。そうした認識のうえで多文化サービスに取り組んでいく、と館長は言います。
人間として普通のことをやってるだけなので、そんなあの、押しつけがましいとか鼻にかけたりとか、そういうことは絶対出さない。中には、外国の方を嫌ってる方もいるし、そういう人もここを使ってる。そういう人たちもいるんだ、ってこともしっかりと、こちらは認識する必要がある。でも別にだからといって特別に何かしていくわけではなくて、でも普通にやるわけですよ
多様なルーツをもつ住民の増加を快く思わない住民に対して啓蒙的に理解を強要するのではなく、「日本の人も外国の人も、大人も子どもも集まって、一緒になかよくワイワイガヤガヤするような、そういう国際交流、国際友好、相互理解の場」をつくり出すことが「一番の偏見とか差別をなくす、近道じゃないかなって私は思ってます」と話してくれました。しかし同時に、表には出さないが人権保障や平和という価値の追求のため、「対話、協調、ぜったいこっちを進めなきゃいけない」という姿勢も確かに持ち続けています。
以上、大久保図書館の多文化サービスが、「外国人」に向けた「特別」なサービスとしてではなく、あくまでも「普通」のサービスとして実践されていることを館長のおはなしを交えてお伝えしました。ではその理念がどのように実践に表れているのか。利用者どうしの相互交流を目的としたイベントプログラムの実践を中心に紹介する後編へと続きます。
[注1] 大久保1丁目・大久保2丁目、百人町1丁目・百人町2丁目を指す。
[注2] 館長への聞き取りは2018年11月23日と2020年12月10日に行った記録にもとづく。
[注3] 2022年4月時点での数。多言語の資料は日本国内で流通していないものも含み、外国語の書籍を専門に扱う書店からの購入や寄贈による。
[参考資料・参考文献]
新宿区,2020,「第44回 新宿区の統計(令和2年)」新宿区ホームページ,(2022年2月13日取得,https://www.city.shinjuku.lg.jp/kusei/42toukei_00003.html).
新宿区立図書館,2022,「大久保図書館」新宿区立図書館ホームページ,(2022年2月13日取得,https://www.library.shinjuku.tokyo.jp/facility/okubo.html).
管理人キーマスター安藤幸央です。本連載では「探究」のための各種ツールとその活用方法を紹介していきます。過去の記事はこちらです。連載第4回目は、とくべき探究テーマ、興味をひく探究テーマをどうやって探せば良いのかを指南します。
良い探究テーマとは?
探究学習では様々なテーマを扱います。与えられたひとつのテーマを皆で探究することもあれば、いくつかのテーマから選ぶことも、まったく自由にテーマを選ぶこともあるでしょう。探究テーマの選び方は重要で、適切なテーマを選べるか、選ばなかったかで、結果が大きく左右されます。
探究テーマとして重要な要素はいくつかあります。
- 自分で探せる、調べられるテーマであること。図書館や書籍、インターネットを使って、情報を探せること
- 自分自身が得意なこと、興味のあること、探究するのが楽しいこと
- 調べたことをまとめることで、誰かの役に立てること(皆の役に立つことでなくとも良い)
- 誰もが思いつくことではなく、誰もが見落としていたり、見過ごしていたりしたけれども、実は興味深いこと
そして、いろいろな探究テーマに取り組むなかで、総じて面白い!役に立つ!素晴らしい探究!と感じるのは、面白いテーマに真面目に取り組むか、真面目なテーマに面白く取り組むかのどちらかだと私は考えています。
探せるテーマが良いテーマ
探究すべき興味深いテーマが見つかったとしても、それについて詳しく調べたり、本を探すことができたり、誰かに聞くことができたりしないとなかなか前に進みません。それでも必死で探せば、なにか情報の糸口は見つかるかもしれませんし、誰かに詳しい話を聞けるかもしれませんが、せっかくの良いテーマも必要な情報が集まらなければ、まとめや結果も見栄えがしない中身の薄いものになってしまいます。
ある観点として、ネット上に情報があるか、探せるかという視点で考えます。インターネットが一般的に普及したのは1990年代、皆さんがごく普通に利用しているWebブラウザと同様のごくごく初期のものが登場したのは1992年です。さまざまなネット上の情報をアーカイブし続けている Internet Archivesが登場したのは 1996年のことで、開設当時は寄贈があったデータのみのアーカイブでした。Internet Archivesが世界中の主要サイトを自動的に保存し、アーカイブし始めるようになったのは2010年以降になります。つまり2010年以前の情報は、世の中に存在していたとしても、ネット上にはあまり存在しないということが言えます。
Internet Archiveの Wayback Machineというサービスでは、WebサイトのURLを入力すると、アーカイブされている過去のWebサイトをさかのぼって見ることができます。ただし、全ての情報が完全にアーカイブされているわけではないので、トップページだけの場合や、残念ながらレイアウトが崩れている場合もあります。それでも過去のWebサイトの様子を調べることができるでしょう。
最近の事柄であれば、ネットで様々な事柄を探し出すことができます。電車の中で見かけた広告に登場していた人物を検索したり、テレビ番組で紹介された新しいレストランの情報を探したりするとすぐに見つけられるハズです。ネットには、あらゆる情報があるような気がしますが、1990年以前の情報となると、ネットにあっても僅かか、まったく情報が無い場合もあります。古い書籍や新聞、誰かの記憶にしか残っていない古い情報も実は数多くあるのです。書籍や新聞、雑誌であれば、50年くらい前までであれば、Amazonや古書、図書館で探し当てることが期待されます。
古い情報を探してまとめたり、歴史を遡ってさまざまな事象を探し出したり、自分の祖先や、住んでいる地域の歴史を遡って調べていくことは、ジャーナリズムや歴史の学習としては重要かもしれませんが、短期間で調べてまとめなければいけない探究テーマとしてはあまりにも難しすぎます。本を探す、人を探して話を聞く、場所を探して調べるという「探せる」ものをテーマとして扱うと、そこで得られた多くの情報からまとめるに値する情報、伝えるべき情報も見えてくるはずです。
自分自身が得意なこと、興味のあること、探究するのが楽しいこと
ここで少し注意点を述べておきます。自分が好きすぎることをテーマにすると、テーマの範囲が広すぎ、思い入れが強すぎて、いつになっても満足のいく探究ができずに、よくない落とし穴にはまりがちです。ある音楽ジャンルが好きな人、あるアニメ作品や漫画作品が好きな人、あるブランドやテーマパークが好きな人など、好きなことをテーマにすれば探究も楽だろうと考えがちですが、実はそうでもありません。すでに色々な事柄を知っているからこそ情報の上の層だけを撫でるようなまとめになりがちです。そういった場合は、より狭い分野を深く調べると興味深い探究になるでしょう。自分が好きなことで、いままで知らなかったことを深掘りして知ることのできる良い機会にもなると私は考えています。
一人で考える、皆で考える、また一人で考える
グループやチームなど複数人で、ある探究テーマに取り組む際、いちばん良い成果を引き出す手法があります。それは一人の時間も、皆の時間も、両方大切にすることです。いきなり皆で相談せずに、一人一人考えたこと、一人一人で調べてきた事柄を持ち寄って皆で共有し、そこからまた思いついたり、探すべき情報を見出したり、分担したりします。そうすることで一人では無理だったことに気づけます。
また一人で考えたり調べたりする時間を大切にすることで、誰か一人の意見に引っ張られることなく、多様性をもった情報としてまとめていくことができます。チームワークの大切さは重要ですが、単に仲良しというだけで全員が同じ行動をすることが良いわけではありません。集団スポーツと同じで、得意不得意を受け入れた上で、個々の良さを生かした集合こそがチームなのです。
全ての書籍を集めるアレクサンドリア図書館
Internet Archiveは、古代アレクサンドリアに古代最大かつ最高の学術機関として栄え、その後、戦火と略奪によって失われたと言われる、現存しないアレクサンドリア図書館をインターネット上に甦らせることを目的としたデジタル情報を全世界の人々が将来的に活用できることを目指したプロジェクトです。ネット上の情報の保存はもちろんのこと、電子書籍や動画、音源、画像、ゲームなどの保存にも取り組んでいます。
最近多くの家庭に浸透しつつある、スマートスピーカー Amazon Alexaは、アレクサンドリア図書館の頭5文字をとったものと言われています。ありとあらゆることを知っている未来の図書館は、もう「本」の形をしていないのかもしれません。
管理人キーマスター中村百合子です。本連載では、図書館・情報スペシャリストの養成プログラムの世界最先端と言えるプログラムについて報告しています。第6回と第7回では、すべてをオンラインで提供している、カナダ・アルバータ大学のティーチャーライブラリアン養成プログラムを概観しました。今回はその養成教育における学修の評価法に焦点をあててご紹介します。なお、本稿は2019年夏に札幌で開催した国際シンポジウムにおけるBranch教授の発表原稿(英語)の翻訳です。
第6回で同大学院のティーチャーライブラリアン養成の基礎科目は小グループでのディスカッション(またはゼミ形式)で進むと述べました。そのディスカッションのテーマはいろいろですが、まずは最初の発言をオンラインに投稿することが求められます。その、最初の発言の評価指標が次のルーブリックです。
優 良 可 不可 創造的で、よく考えられており、よく書けている、課題読書をよくまとめた学術的貢献。
(4ポイント)ほとんどの課題読書をまとめた、よく書けている学術的貢献。
(3ポイント)合格とみなすことができる学術的貢献。しかし、よくまとまっていない、すべての課題読書をまとめていない、または文法や文章の形式的なミスがある。
(2ポイント)学術的貢献が不十分である。まとまっておらず、かつ/または学術的水準に達していない。
(1ポイント)学術的貢献が、ユニークなアイディアと、すべての読書や情報源や追加の調査(例えば新しい研究、実践例、政府文書、専門的な文献)から学んだこと、そして個人的/専門的な経験への魅力的なつながりを表している。
(4ポイント)学術的貢献が、魅力的なアイディア、すべての課題読書/情報源から学んだこと、そして個人的また専門的な経験へのはっきりとしたつながりを表している。
(3ポイント)学術的貢献が、課題読書の一部またはすべてからのアイディアを表しており、個人的また専門的な経験にいくらかつながっている。
(2ポイント)不充分かもしれない、かつ/または、課題読書への理解を示していない。
(1ポイント)メタファー、また/もしくは、魅力的な個人的/専門的な経験にもとづいて、他の人がつながりをみいだせるように招いており、ディスカッションを広げて高めるべく、よく考えられた疑問を出している。
(4ポイント)学術的貢献がはっきりしており、提示されたアイディア/経験が、ディスカッションに取り組みそれを広げるいくつかの方法を提供している。グルーブディスカッションのための疑問が含まれている。
(3ポイント)学術的貢献ははっきりしているが、つながりをみいだしたり、ディスカッションを広げたりすることが簡単ではないかもしれない。そして/または、考えるべき疑問を含んでいない。
(2ポイント)学術的貢献がさらなるディカッションを妨げている。
(1ポイント)学術的貢献が与えられた単語数に収まっており、文章内に正しく引用がされており、APAスタイル*で正しく参照文献が引用されている。
(4ポイント)学術的貢献が少し長すぎるか短すぎるかもしれない(50単語)。そして/または、情報源の引用ができていないかもしれないし、APAの引用や参照スタイルに2、3のミスがあるかもしれない。
(3ポイント)学術的貢献が与えられた単語数を守っていない(100単語以上)。引用がされていない。そして/または、APAの引用や参照スタイルに多くのミスがある。
(2ポイント)学術的貢献がAPAの引用や参照スタイルを正しく用いていない。
(1ポイント)*APAスタイルとは、アメリカ心理学会 (APA) の論文執筆のスタイルガイド 同養成プログラムにおいて、小グループでのディスカッションは大変重要なので、学期の半ばと学期末の2回、ディスカッションへの参加・貢献を評価します。たいていの科目で採点の25%がこれにもとづいており、次のルーブリックを用いています。
優 良 可 不可 プレゼンス
(最大16ポイント)3日間のディスカッションの会話の流れの中で、一貫して価値ある存在感を維持している。グループの各メンバーと十分に関わって、情報源を共有し、自分以外の参加者の貢献を称え、より精緻なものとし、さらなる貢献を促している。ディスカッションのまとめでは、メンバーが持ち返ることのできる重要なまとめや、洞察に満ちたさらなる疑問を提出している。
(14-16ポイント)ディスカッションの会話の流れの中で一貫して存在感を維持している。グループの各メンバーときちんと関わり、適宜、ディスカッションの流れに反応している。
(11-13ポイント)ディスカッションの会話の流れの中で、ある存在感を維持している。グループの各メンバーと一度しか関わらなかったかもしれず、そして/または、ディスカッションの流れに適宜、反応できていないかもしれない。
(11-13ポイント)ディスカッションの会話の流れの中で、ある存在感を維持できていない。グループのメンバーたちと関わっておらず、または、トピックからずれた形で反応したり、ペースを乱したり、さらなる参加を妨げたりしている。ディスカッションのまとめでは、メンバーが持ち返ることのできるものやさらなる疑問を提出していない。
(0-8ポイント)他者への反応
(最大17ポイント)ディスカッションのスレッドを常に追っており、創造的でオリジナルな介入でディスカッションを新しい段階に進め、また/もしくは、談話を進める新しいディスカッションをはじめている。
(14-17ポイント)個人として興味や専門的な知識・技能のあるトピックに関わって独自の考えやひらめきを提出している。
(11-13ポイント)反応は適切であるが、議論の段階を進めてはいない。個人的な専門的な知識・技能または興味を披露したかもしれない。
(9-10ポイント)反応が単純すぎ、他の人たちの貢献をそのまま繰り返しているだけである。他の人たちに反応していない。
(0-8ポイント)概念や原則の統合やまとめ
(最大17ポイント)理解を支えるように、授業の資料に加えてリサーチや専門的な文献、ソーシャルメディアに出ている話題やアイディア、ウェビナー、ビデオ等をほぼ毎回の投稿で共有し、反応は基本原則の深い理解を反映している。
(14-17ポイント)たいてい、授業の資料が適切な時に参照されている。基本原則に対するある理解を反映している。ディスカッションごとに一つか二つの新しい情報資源を共有し、学習を支え高めている。
(11-13ポイント)授業の資料が時々参照されており、反応は基本原則の理解を反映している。学習を支え高めるような追加の情報資源はめったに共有していない。
(9-10ポイント)授業の資料は一度も、または滅多に、反応の中で参照されていないが、基本原則の初歩的な理解はある。学習を支え高めるような追加の情報資源を共有していない。
(0-8ポイント)このように、カナダのアルバータ大学大学院での学校図書館スペシャリストになるための学修は、オンラインでの授業への参加、貢献を丁寧に追って、評価がされます。このような評価は、筆者が知る限り、北米の大学の伝統とも言えるようなもので、アルバータ大学のプログラムでのみ行われているわけではありません。しかし、すべてをオンラインで行う、最先端の図書館・情報スペシャリスト養成プログラムの授業の評価については、管見の限り、議論は少なく、ルーブリックの公開も貴重ですので、ここに、Branch教授の報告で示されたルーブリックを全訳しました。
さて、次回からは、欧州、スペインのバルセロナ自治大学(Universitat Autònoma de Barcelona)が提供している、学校図書館や公共図書館の児童サービス、そして読書に関わるスペシャリスト養成のプログラムを紹介します。
管理人キーマスター浅石卓真です。本連載の最終回となる今回は、学校図書館による探究の支援を促進する取り組みと、それに関連して私が数年前から行っている共同研究について紹介します。
「学習指導要領の中で学校図書館はどのように言及されてきたか?」で言及したように、学校図書館に期待される役割は具体的かつ多面的になってきました。学校図書館による授業支援、特に資料提供を促進する試みもなされており、それらは
- (i) 授業で使えそうな図書をリスト化しておく
- (ii) 学校図書館を活用した授業実践をデータベース化しておく
という二つに大別されます。
(i)については、現職の学校図書館職員や教員が「教材として使える図書」を選定してリスト化しています[1]。
具体的には小学校の理科や社会科で、授業で使える図書を集めたものが刊行されています[2]。その他にも、「総合的な学習の時間」などにおいて学校図書館を活用した学習を出来るだけ少ない負担で実施することができるように「学校図書館調べ学習ツールキット」が作成されており、その中には調べ学習に最低限必要な資料リストが含まれています[3]。(ii)については、「学校図書館による資料提供の実際」でも紹介した「先生のための授業に役立つ学校図書館活用データベース」(以下、活用DB)が典型的です。活用DBでは、教員への資料提供を中心としたレファレンス事例が教科・学年別にまとめられており、各事例で提供された資料一覧をExcel形式でダウンロードすることも出来ます。その他にも日本学校図書館学会が、各教科における学校図書館を活用した授業実践の事例を集めて刊行しています[4]。
しかし、上記の取り組みには大きな問題点があります。それは、基本的に他の学校図書館で提供された図書や事例を紹介したものであり、自館の蔵書でどの図書が教材となるかを直接は提示できないという点です。他館で提供された図書がどんなに適切でも、それが自館にあるとは限りません。また実際の資料提供では、授業の狙いや活動内容、児童・生徒の学力なども考慮する必要があります。国立国会図書館国際子ども図書館の調査研究でも「特定の授業を想定せずに作られた教科・単元ごとのブックリストの資料をそのまま提供するだけでは、十分な授業支援とならない」と述べられています[5]。
そこで私の研究グループでは以前、各教科・単元の授業で使える図書を、自館や近隣の公共図書館の蔵書から抽出するシステムを開発しました。このシステムの中核は、多くのAIでも使われている機械学習手法を用いて、図書館の蔵書を教科・単元に振り分ける自動分類器です。中学社会(地理的分野)を対象として、図書を「地理的分野」か「それ以外」かを判定する分類器(地理分類器)と、「地理的分野」と判定された図書を「世界地理」か「日本地理」かを判定する分類器(単元分類器)を構築し、実験データに適用したところ、いずれも高い性能が確認できました[6]。
機械学習による教材の自動抽出は一見有望に思えますが、実際には致命的な弱点を抱えています。それは、分類器を作成するには、機械学習の訓練用データ(正解集合)となる「実際に授業で提供された教材」が大量に必要だということです。中学社会(地理的分野)のような、学校図書館を活用した探究学習が比較的よく行われている単元は訓練用データを収集できますが、そのような単元は少数です。そのため、多くの単元に適用できる方法ではありません。そこで現在は方針を変え、学校図書館職員の教材検索プロセスの一部を補助するようなシステムを作成しています。
具体的には、学校図書館職員が資料提供に必要な情報を教員から聞き取るための「打ち合わせシート」と、打ち合わせシートをもとに効率的に教材検索のできる「教材検索システムBookReach」を作成しました。打ち合わせシートは、授業支援のために必要な項目を、学校図書館職員が効率的に入力できるよう設計されています(教員自身による入力も可能です)。項目は学校図書館を活用した授業事例や学校図書館職員へのインタビュー結果に基づき作成しており、学校図書館職員を対象としたアンケートでもその有効性が確認されています[7]。
教材検索システムは、学年・教科書・単元を選択すると、登録した蔵書の中から単元に対応したNDC記号の図書が出力される(例えば「大気の動きと日本の天気」という単元の場合「451気象学」の図書が表示される)というものです。教材として選択した図書はその場で印刷するだけでなく保存もできるため、将来同じ単元で資料提供の依頼があった時に、過去の提供履歴を参考にできます[8]。これにより、教材選定にかかる時間を大幅に短縮できる見込みであり、学校図書館職員を対象としたアンケートでも有用との評価を得ています。
打ち合わせシートも教材検索システムも、上記のリンクからデモ版にアクセスできます。また、既に学会発表を行なった時のスライドがこちらとこちらで公開されています。ご関心のある方は、併せてご覧ください。今後、両ツールは「探究」に役立つツールとして学校現場に還元していきたいと考えておりますので、実証実験にご協力いただける方はこちらにご連絡いただければ幸いです。
[1] 鎌田和宏・中山美由紀(編著)『先生と司書が選んだ調べるための本:小学校社会科で活用できる学校図書館コレクション』少年写真新聞社, 2008.
[2] りかぼん編集委員会(編著)『りかぼん:授業で使える理科の本』少年写真新聞社, 2012.
[3] 河西由美子「調べ学習パッケージの開発:学校図書館を活用した探究学習のすすめ」『学校図書館』no.711, pp.30-32, 2010.
[4] 日本学校図書館学会(編)『学校図書館を活用した学習指導実践事例集』教育開発研究所, 2013.
[5] 国立国会図書館国際子ども図書館『図書館による授業支援サービスの可能性:小中学校社会科での3つの実践研究』国立国会図書館. 2012. 引用はp.42.
[6] 宮田玲・矢田竣太郎・浅石卓真「学校図書館による教員サポートのための図書推薦支援システム」『生涯学習基盤経営研究』no.39, pp.61-72, 2015.
[7] 宮田玲・浅石卓真・矢田竣太郎「学校図書館による教材資料提供プロセスのモデル化と教員連携を促す打ち合わせシートの開発」『第69回日本図書館情報学会研究大会発表論文集』pp.5-8, 2021.
[8] 矢田竣太郎・浅石卓真・宮田玲「学校図書館による教材提供を支援する図書選定システムの提案とユーザインタフェースの予備的評価」『第68回日本図書館情報学会研究大会発表論文集』pp.9-12, 2020.
管理人キーマスター宮澤篤史です。ここまで第1回と第2回で多文化サービスの理念・歴史を概説しました。これからの回では少しずつより具体的なサービスの実施状況や事例について紹介していきます。今回は、「多文化サービス実態調査」を参照し、日本の多文化サービスの全国的な実施状況を確認します。
日本図書館協会は「多文化サービス実態調査」と称し、4回にわたって全国の公共図書館を対象に多文化サービス実施に関するデータを収集してきました(1988年・1998年・2002年・2015年)[注1]。以下では、そのデータのなかから、
- (1)外国語図書所蔵数(どれくらい、またどの言語の資料を収集しているのか)
- (2)多文化サービス実施に関する状況(どれくらいサービスを実施しているのか)
- (3)多文化サービス実施に関する課題(何がサービスを妨げているのか)
という3点に絞って状況をみていきます。
(1)外国語図書所蔵数
まず、全国の公共図書館が所蔵する外国語図書の冊数別割合(図1)の経年変化をみてみましょう。図からわかるように、日本で「多文化サービス」の考え方が認識され始めたばかりの1988年の調査では、外国語資料を購入していなかった図書館が65%程度であったのに対して、1998年と2002年にはそれが半減しています(27.7%と28.9%)。2015年には全体の約96%の図書館が外国語資料を購入しており、その所蔵数も増加しました。これは、日本の在日外国人数の増加に伴い、図書館への外国語資料要求が高まってきたことが要因として考えられます[注2]。
では、どの言語の外国語資料が収集されているのでしょうか。図2では、一般書と児童書それぞれで、言語別での収集割合を比較可能なデータのある1998年と2015年の2時点で比較しています。
言語別にみると、2015年では一般書、児童書ともに、英語の資料が最も収集されていることがわかります(一般書72.3%/児童書83.7%)。それに中国語(同23.5%/27.0%)、韓国・朝鮮語(同19.1%/27.2%)、さらに南米出身者が利用者として想定されるスペイン語(同11.3%/19.6%)とポルトガル語(同10.7%/16.3%)が続いています。
1998年から2015年にかけての大きな変化は、英語資料の収集で一般書、児童書ともに20ポイント前後の増加があったことです。しかし、英語以外の言語を見てみると、中国語、韓国語の資料はその2時点で、一般書の収集が10ポイントほど増加したものの、児童書については5ポイントほどの増加にとどまっています。また、スペイン語、ポルトガル語については一般書で微増したものの、児童書に関しては変化が見られていません。その他の言語については比較可能なデータがとられていないため一概にはいえませんが、資料収集の面での多文化サービスの広まりは主に英語資料の収集拡大によって支えられてきた側面があるといえるでしょう。
では、この資料収集の状況がどれだけ現実に即しているのかを判断するために、多文化サービス実態調査が実施された4時点の在日外国人数(国籍別割合)の推移を見てみます(図3)。4時点ともに上位2か国は中国、および韓国・朝鮮が占めていますが、2015年までに南米諸国と東南アジア出身者の割合が大きく増加しています。南米諸国出身者に関しては入管法改正(1989年)による南米諸国からの日系人の増加、東南アジア(特にベトナムとネパール)に関しては「留学生30万人計画」(2008年)や「技能実習制度」創設(2010年)を経て2015年時点では大きな割合を占めるようになったと考えられます。1988年にはおよそ85%が中国と韓国・朝鮮出身者だった在日外国人数は、2015年に至るまでに南米諸国や東南アジア出身者の増加によってその多様性を高めています(1988年から2015年にかけて、在日外国人数上位10か国出身者のうちの地域別割合は、東アジア:85.7%→52.5%、東南アジアが4.9%→21.4%と変化)。
このように外国語資料収集と在日外国人数の割合を照らし合わせると、現在の日本の多文化サービスにおける資料収集では、在日外国人数の実際の比重に対してもっぱら英語資料の収集が行われていることがわかります。今回の参照データはいずれも全国規模のもので各地域の多文化・多民族化やニーズの事情を子細に反映したものではありませんが、多言語資料の収集において、英語資料への偏重が起きているといえます。
(2)多文化サービス実施に関する状況
図4は、日本全国の公共図書館での多文化サービスに関する状況を示しています[注3]。順にみていきますが、ここで示した6項目はすべて50%を下回っています。
まず、「多文化サービスの指針」がある図書館は、全国でみると20%強にとどまっていて、「外国語資料担当者」も同様の割合となっています。また、「IFLA/UNESCO多文化図書館宣言」(2008)で示された「多文化図書館の原則」のひとつである「多様性を反映した職員」の有無は、「いない」が91.5%と圧倒的となっています。ここからは、管理・運営に関する側面では、多文化サービスが全国的に浸透し、展開されているとは未だ言い難い状況にあると考えられます。
また、「外国語でのカウンター対応職員」「やさしい日本語での広報の実施」といった利用者とのコミュニケーションに直接関係する項目では、「ある/いる」との回答は約40%となっていて、「日本語教室、外国語のおはなし会の実施」はさらに低い26.4%にとどまっています。前述のように、外国語資料の収集が英語資料に偏重している(図2)と考えられる状況では、カウンター対応の外国語も英語が中心となっており、中国語や韓国語といったその他言語での対応可能職員の存在は、さらに少ないことが予想されます。
他の項目と特徴が異なるのが、図書館のサービス内に「外国人のコミュニティ」が存在するかという項目で(「地域の外国人コミュニティの認識」)、「わからない」との回答が他の項目よりも高い26.3%に上っていることです。ここからは、地域の外国人住民のニーズ把握が難しい状況に図書館が置かれていることがうかがえます。しかし他方で、この質問に「ない/いない」と回答した割合が60.7%と半数以上になっていることは、多文化サービスに対する姿勢として注意する必要があります。というのも、認識レベルで「ない」と考えることと、実際の社会的現実は異なる可能性があるからです。例えば、先ほど参照した「在留外国人統計」では国籍別の在日外国人数は把握できるものの、文化や言語、民族といった側面での多様性を把握できるようには設計されておらず、いわゆる「ハーフ」の人びとや「非正規滞在者」などは統計上に現れてきません。「ない」と思っているものが実は「見えていない」、もしくは「見ようとしていない」だけかもしれない。特に、弱者やマイノリティへのサービスを考えるうえで常にこの反省的視点を持ち続けることは重要であるといえます。
(3)多文化サービス実施に関する課題
続いて図5を見てみると、多文化サービスにあたって図書館が継続的に抱える問題が明らかになってきます[注4]。1998年と2015年を比較すると、「資料費がない・少ない」「外国語図書の選書・発注が困難」「電算入力できない外国語(文字)がある」といった財政や運営上のテクニカルな側面の回答は上位で推移しているものの、大きな変化を見せていません。特筆すべきは、「地域外国人のニーズが不明」「(カウンター対応・利用案内作成などの際の)職員の外国語対応能力不足」という回答です。先ほどの図4で確認した「外国語でのカウンター対応職員」と「地域の外国人コミュニティの認識」の項目での問題点とも関連しますが、1998年には半数ほどだったこれらの回答が、2015年には70%付近まで上昇しています。これは、外国人の増加による地域環境の変化により、多文化サービスに関する問題が、より顕在的になったことによるものと考えられます。このように、近年の多文化サービスにおける差し当たっての課題は、資料費の有無や選書、入力といった実務的なサービスであると同時に、ニーズの把握や職員の外国語能力といった、利用者とのコミュニケーションにおいて生じる課題にあるといえるのではないでしょうか。
多文化サービスの状況まとめ
ここまでみてきたデータからいえることをまとめると、以下の3点になります。
(1)外国語図書所蔵数(どれくらい、またどの言語の資料を収集しているのか)
→ サービス圏の人口構成に応じた資料収集の必要性
(2)多文化サービス実施に関する状況(どれくらいサービスを実施しているのか)
→ 外国人コミュニティへの認識を高めること
(3)多文化サービス実施に関する課題(何がサービスを妨げているのか)
→ 外国人利用者とのコミュニケーション、ニーズの把握が中心的課題
近年の在日外国人数の動向として、東南アジア(特に、ベトナム、ネパール)出身者が増加傾向にあることがわかっています。それを踏まえると(1)および(3)に関していえば、英語資料の所蔵にとどまるのではなく、そうしたアジア言語のニーズに応じた収集が課題になってくるといえるでしょう。そのためにも、今回参照した「多文化サービス実態調査」の質問項目に、より多くのアジア言語の選択肢を採用することが、より正確な実態把握のためにも必要です。
(2)に関しては、多文化サービスの実施、ないし多文化共生社会の実現に向けて大きな認識転換が必要である点であるといえます。端的にいえば、外国人コミュニティがない/見えないようにみえて、実はそこに(無意識にも)かれらの存在を「見ようとしていない」姿勢が潜んでいる可能性があるということです。繰り返しになりますが、マジョリティ側がこの反省的視点を常に持つことが、弱者やマイノリティへのサービス提供に必要不可欠であるといえます。
今回は多文化サービスの全国的な実施状況についてデータをもとに概観し、多くの図書館が多文化サービスの実施に困難があるということがわかりました。そうした困難の解決の手がかりとして、日本図書館協会多文化サービス委員会は「多文化サービスQ&A」を公開しています。「『多文化サービス』を始めるとき、どこから手を付けたらよいかわかりません」「外国人のニーズがわかりません」など、参考になりそうなQ&Aをぜひご覧になってみてください。
[注1] 2002年は日本図書館協会図書館調査事業委員会事務局のミニ付帯調査として、ほか3回は『日本の図書館』の付帯調査として実施された。
[注2] 「多文化サービス実態調査」が実施された4時点での在日外国人数はそれぞれ、94.1万人(1988年)・151.2万人(1998年)・181.1万人(2002年)・223.2万人(2015年)となっており(「在留外国人統計」より)、1988年から2015年にかけて2倍以上増加している。
[注3] 参照した質問項目は次のとおり。多文化サービスの指針:問1-1「貴館には、多文化サービスの根拠となる業務指針等がありますか」;外国語資料担当者:問2-1「貴館には外国語資料の担当者等がいますか」;多様性を反映した職員:問2-2「日本国籍を持たない方や日本語が母語でない方が図書館にはいますか」;外国語でのカウンター対応職員:問2-3「外国語で簡単なカウンター対応ができる職員がいますか(貸出・返却などの範囲)」;やさしい日本語での広報の実施:問6-1「外国語や、やさしい日本語で書かれた広報類(利用案内/登録申込書・リクエスト申込書/館内掲示/ウェブサイト等)がありますか」;日本語教室・外国語のおはなし会の実施:問6-2「外国人のための日本語教室、外国語によるおはなし会などを、図書館や他の施設で実施していますか」;地域の外国人コミュニティの認識:問6-4「貴館のサービスエリアに、外国籍の人が多い地区(コミュニティ)がありますか」
[注4] 質問項目は、問6-7「在住外国人への図書館サービスについて、貴館で、下記に該当する点がありましたら、チェックしてください」(複数回答可)
[参考資料・参考文献]
日本図書館協会障害者サービス委員会,1999,『「多文化サービス実態調査1998」公立図書館編報告書』日本図書館協会.
日本図書館協会多文化サービス研究委員会,2004,『多文化サービス入門』日本図書館協会.
日本図書館協会多文化サービス委員会,2017,『多文化サービス実態調査2015報告書』日本図書館協会.
出入国在留管理庁,2022,「在留外国人統計(旧登録外国人統計)統計表」出入国在留管理庁ホームページ,(2022年1月10日取得,https://www.moj.go.jp/isa/policies/statistics/toukei_ichiran_touroku.html).
管理人キーマスター中村百合子です。カナダのアルバータ大学の教育学修士号の課程に置かれるティーチャーライブラリアン養成プログラムについて、同プログラムの責任者であるJennifer L. Branch-Mueller教授のこ2019年の発表記録(英語)をもとに、英語の紹介サイトの情報も加えて、紹介しています。第1回では同プログラムの概要をご紹介しました。今回、第2回では、教育の中身を見ていきたいと思います。
第1回で紹介したように同プログラムでは、例年、10名ほどの学生が学んでおり、教育学修士号の二つの必修科目(カリキュラムに関する入門科目と教育に関する研究への入門科目)の他に、八つの選択科目を学ぶことになっています。ティーチャーライブラリアンになろうと学修を進めている学生には、Branch-Mueller教授はこのあと紹介する五つの基礎的科目はできるだけ修めるようにと強く指導しているそうです。
それらのティーチャーライブラリアン養成の基礎科目はすべて、小グループでのディスカッション(または大学院のゼミ形式)の形式で進みます。また、ほとんどの科目は、グループ(2~4名ずつ)でプロジェクトに取り組むことが求められます。例えば、学生が発表をしたり、セミナーやウェビナーを開催したりして、クラスメートとの共有を行います。それ以外に、個人で執筆して提出する課題に、次のようなものがあります。
- 行動計画
- 事例研究
- 論点レポート
- 専門誌への投稿
- 本の一章
また、ナショナル・パブリック・ラジオ(NPR)の人気番組This I Believe(私が信じているのは)・・・を真似て、学生たちに、一つの科目を履修し終わったら、その科目の学修を通して新たに理解したことについて書いてもらうこともあります。
さて、五つの基礎科目とは次のとおりです。
- (EDEL 540)ティーチャーライブラリアンシップ入門 学校図書館プログラムとそのサービスのマネジメントについて探索しクリティカルに評価します。具体的には次の三点を参照しながら、学生自身の学校の図書館ではない、一つの学校図書館の評価を行います。学生たちは、方針や規則、実践、コレクション、施設・設備を検討し、直接、ティーチャーライブラリアンとその学校図書館の計画や実際の運営について話をします。
・ エバーハート(Nancy Everhart)氏による『学校図書館メディアセンターを評価すること:分析テクニックと研究実施法(Evaluating the School Library Media Center: Analysis Techniques and Research Practices)』(1998, Libraries Unlimited)を手はじめに用いる。次の2点も使う。 ・ 『情報リテラシーの達成:カナダにおける学校図書館プログラムのための基準(Achieving Information Literacy: Standards for School Library Programs in Canada)』(Canadian Association for School Libraries, 2003) . 『学習をリードする:カナダにおける学校図書館学習コモンズの実践基準(Leading Learning: Standards of Practice for School Library Learning Commons in Canada)』(Canadian Association for School Libraries, 2016)
- (EDEL 542)探究にもとづく指導入門(教育学修士号の必修であるカリキュラムに関する入門科目とみなされる) 探究の本質や文化と教育と学習への探究の統合を探索しクリティカルに評価します。このクラスでは、あるシナリオにもとづいて、行動計画を作成する課題があります。学生は、教師、保護者、ティーチャーライブラリアン、管理職、教育長の中から一つの役にあてられて、与えられたコンテクスト(状況)の中で、探究の文化を作りあげることについて、共通の寄って立つ基盤を見つけることに取り組みます。行動計画には、ウェブサイトを作って参考資料を掲載し、また学校や学区を巻き込むような新しい取り組みを支える文献を提示します。保護者への手紙、専門職の学習目標、短いビデオも作成します。
- (EDEL 543)現代の複数のリテラシー入門 現代の複数のリテラシー、21世紀のリテラシー、ティーチャーライブラリアンにとってのリテラシーにおけるリーダーシップの基盤を探索し、クリティカルに評価します。
- (EDEL 544)現れつつあるテクノロジー入門 現れつつあるテクノロジーの学校と学校図書館における活用を探索し、クリティカルに評価します。個人として、専門職として、また教育と学習の場でいかにそれらを活用可能かに焦点をあてます。学生たちはいろいろなテクノロジーを使って、毎週、読書や思索をクラスメートと共有します。ポッドキャスト、ブログ、アニメ作成アプリ、タイムライン作成アプリ、Twitterチャット(日時を決めて会議を開催し、ハッシュタグ(#)を用いて議論する)などを用います。
- (EDEL 546)情報資源の選定と評価入門 学校と学校図書館における児童・ヤングアダルトのための印刷および電子情報資源の選定と評価について探索し、クリティカルに評価します。
加えて、最後のまとめの科目として「ティーチャーライブラリアンシップにおけるリーダーシップ」に関する科目があります。このクラスでは学生たちはそれぞれに関心をもったトピックについて、本の一章を書きます。そしてお互いに編集しあい、電子書籍の形にしあげます。その本はこちらで公開しています。アルバータ大学のティーチャーライブラリアン養成プログラムは、ティーチャーライブラリアンのリーダーシップの役割を重視しています。異なるスタイルのリーダーシップや、ティーチャーライブラリアンとしての効果的な資質や姿勢について、時間をかけて話し合い、また資料を読みます(注)。テクノロジー、探究、情報資源、複数のリテラシーにおけるリーダーシップに焦点をあてています。副校長といった管理職ポストに修了後に移っていく学生もいます。
カナダには、ティーチャーライブラリアン(学校図書館専門職)の国家資格がないということは、前回も書きました。そこもそもカナダでは教育は(連邦政府ではなく)各州政府の権限の範囲にあります。アルバータ州には、学校図書館の教職員について、こうした資格をもつ者を置くという最低基準がありません。ですから、学校図書館に非常勤のスタッフしかいない学校もあれば、有資格のティーチャーライブラリアンがいる学校もあり、また一般の教師やそのほか何らかのアシスタント職(図書館に関する訓練を受けていない人も少しは受けている人もいる)がいる学校もあります。無資格どころかボランティアしかいない学校も実はあります。学区によっても、求められる資格要件が違います。上掲の『学習をリードする:カナダにおける学校図書館学習コモンズの実践基準(Leading Learning: Standards of Practice for School Library Learning Commons in Canada)』(Canadian Association for School Libraries, 2016)を採用している学区はあっても、有資格のティーチャーライブラリアンの必要性は伝えられていません。結果として、ソファやコーヒーメーカー、コンピューターの置かれた空間はあっても、学校図書館に指導や計画(プログラム作成)がほとんどされていないとか、まったくされていないとかいう学校もあります。
カナダの多くの学校は学校単位での意思決定が行われています。つまり、学校管理職が、学校図書館に教職員を配置するか否か、いかに配置するかを決めるのです。州政府による基準や規制が無ければ、仮に配置されても、いつでも学校図書館から一般教室の担当に戻されることがあり得ます。教師としての勤務時間の一部を図書館で過ごすようにと言われても、その時間数はいつ減らされるかわかりませんし、一日1時間か2時間だけ学校図書館で働くという話になってしまうこともあり得ます。ですから、管理職の学校図書館に対する認識や理解がとても重要になっています。
さて、次回は続けて、アルバータ大学のティーチャーライブラリアンの養成プログラムの学修評価のあり方についてご紹介します。
(注)Jones, J., & Bush, G. (2009). What defines an exemplary school librarian: An exploration of professional dispositions. Library Media Connection, 27(6), 28-30.;Kimmel, S. C., Dickinson, G. K., & Doll, C. A. (2012). Dispositions in the twenty-first
century school library profession. School Libraries Worldwide, 18(2).管理人キーマスター2022年3月末の都城市立図書館訪問から、同図書館の魅力の源泉を考えています。前編では、「リーダーシップ;人選;現場の裁量」、そして「物理的な空間の余裕;開放感」という切り口で考えてみました。その続きです。
展示;プレゼンテーション(見せ方)
前編で述べたように、都城市立図書館は館内が広く、各所に空間があるから、もし私が司書(職員)なら、とにかく展示をしまくらざるを得ない感じがします(笑)。あまりにたくさん空間があるので、司書の方たちは展示づくりで大変ではと思うほどでしたが、考えてみれば、展示、キュレーションは司書の仕事そのもの。選んで知らせる(推薦する)。せっかく図書館に身体を運んでもらったからには、何かいいものを見つけて行ってほしいと司書ならだれでも思っているはず。機会(展示スペースと選定の時間)さえもらえれば、司書たる者、誰もが喜んでする仕事だなと思い返しました。
賞をとったという建築・設計があってこそではあろうけれど、とにかくスペースが広いことと、現場の職員の裁量権がある程度ありそうなところとがかみあっていて、よく働いているのではと思いました。スペースがふんだんにあることは、ちょっとやってみようかなという思いを生むでしょうし、そのような”余裕”がとても重要なのだと思います。それから、美大でデザインを専攻した方が図書館スタッフの中にいるというのも、展示を含めて、館内の空間設計、広報などなど、いろいろな場面で心強いだろうことが、案内をしてくださった、副館長の前田小藻さんのお話からよく伝わってきました。
毎年、本学の学生が図書館実習に行って帰ってくると、何名かが、”展示を作らせてもらえた!”と喜んで報告してくれるのですが、それを聞いていて思うのは、展示への利用者の方たちの反応(一冊、ちょっとでもでも手に取ってもらえたとか、長時間立ち読みしてもらえたとか、借りて行ってもらえたとか)はほんとうに展示をした人にとっては嬉しいことなのだなということ。また、そういう反応をもらえる経験を繰り返すことで、展示はどんどんうまくなるだろうから、実習の一回限りというのは残念だなとも思います。
歴史;まちづくり;図書館
都城市立図書館の館内を全体として見たとき、「歴史」を大切にしている印象を受けました。図書館は積み重ねの場だから、歴史と親和性があるわけですよね(書店と図書館の違いは資料の積み重ねの有無とはよく言われることですね)。また、まちづくりということを考えても、そのまちの独自性は歴史と文化から生まれるはずなのですよね。だから、これからのまちづくりを図書館が支えるというとき、歴史は一つとても重要なアプローチなのだなと思いました。
さいごに:古典的司書脳の認識
今回の見学の中で、私の脳は古典的司書脳というのか、戦後日本図書館脳というか、になってしまっているなあと実感しました。例えば、上記の、日本・都城市・世界の歴史書を一緒に並べた書架と、歴史の一般書架の分け方(どういう本がどちらに置かれるのか)にこだわってしまったり;すべての書架に三桁の数字(書架番号)があるのを見て、これはNDCと違って混乱しないの?と強く思ってしまったり;「多文化」というまとまりを見て、一利用者の感覚で直感的には「いいな」と思いながらも、「多文化」ってどんな分類の本をどう選んできてどう並べているの?適切なの?と思ったり…。書架分類によって秩序を生み出すことにこだわってしまう(笑)。
前田さんからは、利用者の方たちの多くは、書架の位置を覚えていて、書架番号やNDCはあまり使っていないのじゃないかなというようなことをうかがって、やっぱりそうなのだなあと。私は司書課程教員でありながら、NDCの3桁をすべて覚えていなくて、それほどこだわりがないはずですが、それでもどこかでとてもこだわっているみたいです。これだけ、コンピュータの検索システムも充実してきたのに、なぜこうやってこだわってしまうのだろう!排架の原理の統一を自動思考でむやみに望んでしまうらしい…
今回の訪問で、図書館を司書だけで経営・運営する時代ではもうないのだなと痛感しました。もちろん、これは、司書が、これまでに考えられていた能力やスキル、専門性を超えた力をもっていくという考え方もできますが、やはり(これまでの)図書館のことをほとんど知らない人が同じ場にいて同じものと見ていて一緒に働いてくれることが大切なのだと思います。司書課程の教員としては、司書課程での学びだけでなく、他にも、創造性を発揮できるような大好きな/得意な領域を見つけるべきこと、そして自分とまったく異なる知識や資質をもつ人たちとのコラボレーションに向けて自らの専門性とコミュニケーションスキルを磨くべきことを伝える必要があるとよくよく認識いたしました。
(中村百合子)
管理人キーマスター安藤幸央です。本連載では「探究」のための各種ツールとその活用方法を紹介していきます。連載第3回は、さまざまな「似ている」情報を探すツールを取りあげます。
顔から探す
世界には自分に似た顔の人が三人居ると言われています。自分の知り合いと、教科書に載っている偉人の肖像画が似ていて驚いたことがあるかもしれません。この話は都市伝説のようにも思えますが、実はそれなりに根拠はあるようです。数千人に及ぶDNAを分析した結果、ある特定の五つ遺伝子が鼻の形や目の位置、頬骨といった顔の特徴をになっていることが解明されています。遺伝子もデジタル情報のようなパターンの組みわせだということです。遺伝子情報が同じ一卵性双生児でも育ってきた環境や、食生活の違いなどによって顔は異なってきますが、赤の他人でも、顔にまつわる遺伝子情報が同じ、または似通っていれば、似た顔になり得るということです。
Twin Stranges というサービスでは、AIを活用し自分の顔と似ている他人を世界中から探すことができます。もちろんこのサービスに登録している人だけなので、元となるサンプルが限定的ですが、興味深いサービスです。私自身の顔写真で試したところ、双子だ!と思えるほどの類似性はなく、なんとなく似ている人が見つかりました。(※ご自身の顔写真をこのサービスにアップロードする場合、ネット上に写真が一般公開されることになります。十分な配慮、承知の上でご利用ください。)
Google Arts & Culture というサービスでは人工知能を活用し、自分の顔写真やペットの顔写真から似ている絵画を探し出すことができます。
https://apps.apple.com/app/arts-culture/id1050970557 (iPhone/iPad版・無料) https://play.google.com/store/apps/details?id=com.google.android.apps.cultural&hl=ja (Android版・無料)
言葉から探す
検索エンジンGoogleが使われ始めたころ「Googleレシピ」という使い方が評判になりました。冷蔵庫に残った食材、例えば「ナス 牛肉 トマト」という三つの食材をキーワードとして検索すると、「牛肉、なす、トマトのオイスターソース炒め」といった、それらの食材を使ったレシピが見つかる次第です。
この複数キーワードで検索するという技は、さまざまな情報を探す際にも役立ちます。例えば児童書として有名な『エルマーの冒険』『モモ』『ぐりとぐら』といったお気に入りの書籍タイトルを検索キーワードとして入力します。すると、ちょうど同じくらいの年代向け児童書に加えて、おすすめの他の書籍や児童書のランキング、書評など、この3冊にまつわる情報を芋づる式に見つけ出すことができます。こういった探し方は単に「児童書」などと検索してもなかなか探し当てられない情報です。等価な固有名詞三つから五つのキーワードを検索することで、さらに似通った情報が得られるのです。
皆さんも同一のジャンルで気に入った本、役に立った本などのタイトルを複数検索キーワードとして入力し、書籍を探してみてください。同じ好みの人がおすすめする本、自分が知らなかった役立つ本を見つけることができると思います。
ニュースから探す
自由研究やレポート、課題などを進めていく中で、常に新しい情報を入手したい場合があります。例えば「雷」に関する最新情報を日々入手したいと考えた場合、Googleアラートのキーワードに「雷」を設定し、通知の頻度や、情報源、言語などを設定すると、無料で毎日または、新しいニュースがあるごとにメールで通知してもらえます。
レポートのコピー&ペースト対策にも
「似たものを探す」という便利なツールは、レポートや課題、論文などで誠意にかけた引用や、引用元を示さない不正な利用の発見にも使われています。多くの大学で Google Classroom などの機能が活用されている Google for Education の一部、「アサインメント」では課題の出題や、生徒の提出物の分析と採点が行えます。
「アサインメント」には学生の提出物にある引用の方法が正しいか、またネット上の文章を大量に丸ごとコピーしたような文章は無いかをチェックしてくれる「独自性レポート」という機能が存在します。この機能は教師だけでなく学生も利用することができ、意図せず盗作と疑われることが無くなります。比較対象はデジタルデータ化された4,000万冊以上の書籍とWeb上にある論文などの情報です。もちろんこのツールの認識精度をかいくぐって文章をコピーすることや、代筆などといった不正手口はありますが、こういったツールの存在が抑止力になり、適切な引用方法を会得する手助けにもなります。Google for Education 独自性レポート(日本語にも対応しています)
先人が積み重ねた知見の上で新たな発見や考察を得ることを「巨人の肩の上に立つ」と言います。こういった言葉が示すように各種研究やレポート、探究における様々な情報で、いままで世界中で誰も考えようとも調べようともしなかった完全なる独自性を持った題材はほとんどありません。いつも誰かが先に調べていたり、誰かが先に考察していたりしているのです。そういった巨人の探究を、この連載で紹介しているツールを活用して自分の中に取り込み、それこそ巨人の肩に乗っているがごとく、高い視座を持てるようになりたいものです。
管理人キーマスター浅石卓真です。本連載ではこれまで、学校図書館による探究の支援に向けて、探究の背後にある教育思想や学校図書館に期待される役割について紹介してきました。今回は番外編として、「探究」とは対極にある、教科書を中心とした「習得」型の学びについて考えてみます。日本の学校教育は、(近年、変わりつつあるとは言え)教科書を中心としたものが主流ですが、なぜそうなっているかを理解することは、探究的な学びの位置付けを考える上でも有益だと思います。
日本語の「学び」は、「真似ぶ」に由来すると言われています。江戸時代の庶民は寺子屋で学んでいましたが、そこでの学びは手習いと呼ばれ、師匠が書いた文字の真似をして書く練習が中心でした。それらは商売や日常生活に不可欠な読み書きを教えるためのもので、子どもは寺子屋で基本的な読み書きを覚えてから、稼業に従事したり年季奉公に出たりしました[1]。寺子屋の入門者には人口の多数を占める農民も含まれ、江戸時代末期の日本のリテラシーは世界でも有数の水準であったと言われています。
江戸時代にこのような学びが広まったのは、社会が、文字や数値を記録した文書をやり取りする法治と契約を前提とするようになったからです[2]。農村では、戸籍は村ごとに作成され、領主への出願や旅行や転居にも村の証明が必要でした。年貢徴収や行政を百姓が請け負う村請制という仕組みも、読み書きの普及を促したと考えられます。村々に読み書きのできる人々が一定程度いなければ、年貢徴収や行政を村が請け負うことはできないからです。また都市部でも、町人が商取引のために読み書き算盤を必要とする社会が形成されていきました。
寺子屋では、主に日常生活に関連した教材が利用されました。特に平仮名の『いろは』や『文章』『人名』などは、手習いの手本として多くの寺子屋で利用されていたようです[3]。このうち『文章』は日用的に使われる短文の文章、『人名』は姓の頭字や姓名の単語集です。その他、近郊の町村名を単語集として手習いの手本にした『村名』『町名』のほか『五十三次』『国尽』なども使われました。これらのことから、経済的な交易地や街道に関する地誌的な知識が、生活に欠かせないものであったことが窺えます。
学びが進むと、『商売往来』『消息往来』などのいわゆる往来物が教材となりました。『商売往来』は商売のための帳簿、帳面の種類と名称、商品名など商売を含めた日常生活に必要な単語を、『消息往来』は手紙文に使う単語を手習いの手本にしたものです。往来物という名称は、書状の往来(往信と返信)に由来しており、一定の様式に従って文書を書けるようにするための手本でした[4]。それが江戸時代になると、各地の地理や歴史あるいは商売に関する用語や文例を示したもの一般が、往来物と呼ばれるようになります。日々の生活で必要な文書を作成するための教材と言えます。
一方、社会の指導者層であった武士は、治世のために学問を学び教養を積む必要があると考えられました。そこで、武家の学校である藩校では、江戸時代の指導理念である儒教、特に朱子学が教えられ、教科書として経書、史書、詩文集などが用いられました[5]。ここでの学びの中心は素読、すなわち声に出して読むことでした。素読では、意味を捉えずに声に出して読むことを暗唱するまで繰り返します。素読が一定のレベルに達したら、内容を理解するために講義が行われ、その後は会読(会講)や輪講と呼ばれる学習へと移っていきました。
このように江戸時代の学びは、教材となる書物に記された文字をそのまま筆写したり音読したりすることが中心でした。それが明治時代に入ると、文字の読み書きではなく、知識の教授が重視されるようになります。その背景として、日本が短期間で西欧諸国に追いつく手段として教育が位置付けられたことがあります。このことは、1868年の学制発布直後の教科書が、欧米のものを翻訳・翻案したものが多かったことからも窺えます[6]。当時の日本では国家目標に則した教育内容が定められ、教科書を通じてそれを伝達する仕組みが整えられていきました。授業のあり方も効率が重視され、児童・生徒全員への一斉教授法が採用されました。
もう一つの背景として、学校教育が統合的な日本国民の育成の手段とされたことがあります。すなわち、児童・生徒は天皇に仕える皇国民となることが求められ、教科書を通じて皇国思想が刷り込まれました。例えば、戦前の筆頭教科である修身の教科書には、教科書の内容は熟読暗記させるべきものと書かれています。大正時代には、児童・生徒の個性を重視する教育(大正自由教育)が一部の私立学校で取り組まれることもありましたが、1931年の満州事変後には、軍国主義教育のもとで教育への国家統制はさらに強化されていきました。
そして教科書も、国家目標に即した唯一のものに統制されていきます。学制発布後しばらくは、地方ごとに多様な教科書が使われていました。それが1886年以降は検定制度が実施され、特に小学校では詳しい規定が設けられました。1903年に教科書の国定制度が成立した直接のきっかけは、教科書採択をめぐる大規模な汚職事件でしたが、国民思想の統一のために特に小学校の修身では教科書を国定にすべきという意見は、既に以前から現れていたようです。国定教科書はその後、多くの教科で発行されるようになり、日本の学校における教科書の地位は揺るぎないものになりました。
国定教科書のみを利用した学校教育は、戦後GHQ/SCAPにより一旦否定されますが、1950年代における占領政策の転換をきっかけに、再び教科書を中心とする学習に戻ることになります。当時の日本の経済復興及びその後の高度成長を担う産業人を養成するために、知識を効率的に身につけることが重視されたためです。これは、明治時代に「富国強兵」「殖産興業」というスローガンのもと、必要な知識を効果的に詰め込むために教科書が利用されたのとよく似ています。この傾向が見直されるのは、多様な価値観の中で「ゆとり」を持たせ、児童・生徒の個性を尊重しようとする1980年代以降になります。
引用文献
[1] 梅村佳代「近世における民衆の手習いと読書:子どもの「器量」形成を中心として」若尾政希(編)『書籍文化とその基底』平凡社, 2015. 引用は p. 124。
[2] 根本彰『情報リテラシーのための図書館:日本の教育制度と図書館の改革』みすず書房, 2017. 引用は p. 83。
[3] 梅村 op.cit. 引用は p. 123-145。
[4] 八鍬友広「往来物と書式文例集:「文書社会」のためのツール」『書籍文化とその基底』平凡社, 2015. 引用は p. 163。
[5] 寺崎昌男・仲新・海後宗臣『教科書でみる近現代日本の教育』東京書籍, 1999. 引用は p. 12-13。
[6] 平田宗史『教科書でつづる近代日本教育制度史』北大路書房, 2004. 引用は p. 37。
管理人キーマスター『地域社会のつくり方:社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ』という、力作をご紹介します。荻野亮吾氏(佐賀大学准教授)が今年、2022年の1月に勁草書房より出されました。荻野氏は佐賀に移られる前、2020年度まで、立教大学で「生涯学習概論」を教えてくださっていました。このご著書を拝読して、なかなかお目にかかってお話できなくなったことを改めて残念に思ったところです。
同書は、荻野氏が2014年に東京大学の教育学研究科に提出された「社会教育とコミュニティの構築に関する理論的・実証的研究:社会教育行政の再編と社会関係資本の構築課程に着目して」という博士論文に加筆、修正を加えたものということです [1]。新しい本として出版するにふさわしく、『地域社会のつくり方』というタイトルに沿ってストーリーが改めて作られて、博士論文よりは、同じ領域の研究者以外にも読みやすくなっています。これから書評も出てくると思いますが、私は、図書館情報学者として大いに刺激を受けたところがあるので、以下にそのことを書いてみたいと思います。
この本は、タイトルのとおり非常に未来志向のもので、また、地域社会における社会教育の意義を社会関係資本の醸成という観点から解き明かしたものだと思われ、それは議論として説得力があります。その醸成過程は、定量的分析と事例分析を含む定性的な分析によって第4章から第6章において描かれています。が、日本で図書館情報学者をしているアラフィフの私にとっては、その説得力が本書の本体であることは重々承知のうえで、それでも、第3章までの理論的根拠の議論に惹かれました。特に第2章「社会教育学の基本的構造と課題」に強い関心をもちました。それは、図書館情報学が、戦後の日本においては、ひとつには教育学の中に育てられてきた [2] ということと関係があります。(以下、引用部分の一部の文字をボールドにしたのは私です。)
戦後日本における図書館と社会教育の関係
図書館法(1950年4月30日交付)の第一条は次のようになっています。
第一条 この法律は、社会教育法(昭和二十四年法律第二百七号)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もつて国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする。
そもそもとして、社会教育法の第九条は次のように図書館について定めています。
第九条 図書館及び博物館は、社会教育のための機関とする。 2 図書館及び博物館に関し必要な事項は、別に法律をもつて定める。
つまり、図書館は社会教育の施設と、現代日本では考えられているわけです [3]。
ですから、その検討も、一つには社会教育との関係でされてきました。例えば東京大学では、教育学部の教育実践・政策学コースのもとに図書館情報学が置かれており、同コースの説明のページには次のようにあります。
教育実践・政策学コースは,教育という現象あるいは作用の本質を「現場」と「制度・政策」の関係を通じてとらえる研究領域です。他のコースが人文・社会・自然科学の個別の方法を重視しているのに対して,本コースは対象に即した現実的なアプローチにより,対象に迫ることを目指しています。ここで「現場」とは,(1)保・幼・小・中・高で展開される教育実践,(2)地域や公民館・図書館・博物館・文化ホールなどの施設で行われる文化活動や社会教育活動,(後略)
同コースは大学院では生涯学習基盤経営コースという名称になっていますが、同コースの説明のページでは、次のように書かれています。
このコースでは、学校教育の終了後あるいは学校教育の外で人が営む様々な活動を、「学習」の視点からとらえ、生涯にわたって人が営む学習活動とそれを支える組織・制度・環境・技術などの「基盤」について研究しています。 コースは、主に社会教育や生涯学習の活動を研究対象とし、また学習の視点から社会をとらえる社会教育学・生涯学習論研究室と、図書館などの活動や人々の「知」の創造と利用形態を扱う図書館情報学研究室という、二つの研究室から構成されています。
同じく教育学部のもとに図書館情報学が置かれる京都大学では、生涯教育学講座が、メディア文化論、社会教育学、図書館情報学で構成されています。教育学の中に、社会教育学の一部として、もしくは社会教育と共に、図書館学が置かれるということは、戦後教育法制における図書館の位置付という意味で、合理性があります [4]。
さて、前説が長くなりましたが、ここで言いたかったのは、主に教育学部で図書館を研究してきた私にとって、社会教育学は親分野と言ってよい分野であり、近接領域であったということです。”学校”図書館を研究しているので、学校教育学も親分野なのですが、究極的にどちらかと問われれば、理論的な影響力は社会教育学が私には大きかったです。(一方で、アメリカの図書館情報学(Library and Information Science)の独立した存在(discipline=学問分野)たらんとする領域とまたその研究者たちからも、大きな影響を私個人は受けてきています。)
社会教育分野の議論の図書館関係者への影響
荻野氏のご著書の特に前半、第3章までで感じたのは、社会教育学の研究者の方たちの理論構築への意欲の強さです。プラグマティックな傾向の強い図書館研究者たちとは異なるレベルでこの指向性があるように思います。しかし実は、日本の図書館関係者は、この社会教育分野の理論構築に向けての議論から、おそらく社会教育の関係者たちに少し遅れて、いつも大変に影響を受けてきていました。
例えば1960年代から1970年代に、社会教育学の論理に関わってどのような議論があったか、荻野氏の整理を以下に引用します(それぞれp. 58,58-59,60,63からの引用)。
この1970年代の住民運動と密着した社会教育学の形成について、小林[文人]は、「最近-ほぼ1970年代以降-の状況として、社会教育を自己教育としてとらえ、その主体たる住民がみずからの要求を政策・行政に反映させていこうとする積極的な動向をみることができる」として、「それはとくに「国民の学習権思想」に立脚して社会教育を権利としてとらえる発想に基礎をおいている」とまとめている(小林1976:232)
小川[利夫]は、社会教育の本質を「社会教育行政」と「国民の自己教育」運動との外材的・内在的矛盾関係にあると見なす。(中略)(小川1964:51)(中略)この議論では、社会教育を、国民(住民)による国家(行政)への「対抗的参加」として措定し、国民の要求を取り込む形で国家(行政)によって保証されていく組織化の過程にある行政的営為として捉えている。(中略)この時期の社会教育学は、行政との「対抗性」を掲げながらも、行政による権利保障を暗黙の前提としてきたと言える。
ここまで取り上げてきた社会教育学の特徴は、行政や企業の意思決定に批判的に関与する「対抗的参加」と、運動としての参加に内在する市民の「主体形成」を結びつける点にある。運動によってなされる「主体形成」は、社会科学・自然科学の学習による「真理」への接近と、運動の過程での市民意識の醸成という2点から構成されていた。
このように、1960~1970年代に形成された主体形成論とは、市民(住民)が学習をつうじて、行政を中心としたシステムの中で「抑圧」されている構造を自覚し、行政への「対抗的参加」によってその構造を変えることを重視するものであった。
繰り返しになりますが、上記の議論は、1960年代から1970年代のものです。このあと、政治学者の松下圭一が1980年代に展開した社会教育の終焉論にまつわる議論があり、また「「コミュニティと教育」の問題は、「参加(参画)」や「共同(協同)」といった文脈で論じられるように(後略)」(苅谷[剛彦]2004:8)なっています(p. 68)。そして、内発的な主体性の形成を議論の中核に置く考え方である「個体論」的アプローチから、「関係論」的アプローチへ切り替える(小熊2012:351)という展開が、荻野氏によって同書で提案されています(p. 77)。しかし、上記の引用箇所のような議論をまったく聞いたことのない、今の日本で40代以上(たぶん)の図書館関係者は皆無ではないでしょうか?1990年代の図書館学でも、まだこの引用箇所のような(つまり社会教育分野では1970年代に熱かった)議論は、よく聞かれていた、これをベースに図書館の理論的根拠を語ることは一般的であったと私は記憶しています。
主体とは、という問いは教育学の、人間や社会を問うときの最も根本的な問いの一つでしょう。それは「個」の中にあると同時に「関係」の中にあるというようなものでしょう。しかし、図書館に関わる議論では、あまりにもさらっとそうしたことを口にしているような気がします。主体的に、主体性を…云々。「的」や「性」を付けると、少し、厳しい議論から逃げられそうです(笑)。荻野氏のこの第2章の整理で、社会教育学では、戦後、そのことをずっと、理論的に議論してきたことがわかります。私は1990年代半ばから社会教育学の近くにいて感じてきたことがいろいろとありましたが、より視野が明るくなったように思いました。
非常に厚みのある議論が展開されている同書について、私もまだまだ書けそうです [5]。しかしまずはいったん、同書が日本の図書館情報学や戦後図書館史研究に多くの示唆を与えてくれるということを指摘して筆をおきます。
(中村百合子)
[1] 同博士論文は東京大学の学術リポジトリから読むことができる。教育学の博士論文の一つの模範といってよいようなものですね。
[2] 教育学の中の図書館情報学については、前に「学校図書館研究のための大学院進学」という文章の中でも書いたので、関心のある方はご覧ください。
[3] 私が今、立教大学で置かれている部局は、「学校・社会教育講座」という名称ですが、これは学校教育と社会教育に関する講座という意味で、「学校教育」として実際には中学・高等学校の教育職員免許状(教員免許状)を取得するための課程が置かれていることを指しており、「社会教育」としては実際には学芸員課程、社会教育主事課程、そして司書課程が置かれていることを指しています。これは戦後の教育法制のもとで置かれた免許と国家資格の付与のための講座だということです。ちなみに、本学では、司書課程の中に、学校図書館司書教諭コース(司書教諭資格取得のため)という学校教育の免許取得課程への登録を前提としたコースもありますが、受講生が多いのはもう一方の、図書館司書コースという司書資格取得のコースです。
[4] ただ、図書館法の位置付が戦後初期の日本での図書館員養成の制度化と大学における図書館関係の講座等の設置にどう影響したかは明白ではありません。このあたりのことは、今も研究の対象であり、何がどう影響したかを簡単には言い切れないところがあります。三浦太郎, 根本彰「占領期日本におけるジャパン・ライブラリースクールの創設」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第41巻, 2001, p. 475-489. は一つ重要な先行研究です。東京大学、京都大学、慶応義塾大学等で、図書館直下、文学部、教育学部と、図書館学の置き場所が検討されていたことがわかります。その決定は、外部によるものではなくて、各大学の中の事情が大きかったようです。
[5] 同書ではR. パットナムの研究が各所で引用されています。そのうちの一つ『アメリカの恩寵:宗教は社会をいかに分かち、結びつけるのか』、『われらの子ども:米国における機会格差の拡大』、『孤独なボウリング:米国コミュニティの崩壊と再生』は、私が前任校でお世話になった柴内康文氏による名訳です。柴内氏を本学にお呼びして、「図書館とソーシャル・キャピタル」のタイトルでお話していただいたことがあります(記録はこちら)。また、私は、『アメリカの恩寵』について、つたない感想文ですが、個人的なブログに書いたことがあります(アメリカの恩寵:宗教は社会をいかに分かち,結びつけるのか』;(続)『アメリカの恩寵:宗教は社会をいかに分かち,結びつけるのか』)。
(以下、2020年4月11日に追記)社会教育ではないのですが、成人教育と図書館の発展の関係について、吉田右子氏に教えていただいたことがあったのを思い出しましたので、その時の記録をご紹介しておきます。これは、私が博士論文を出した後に、同じく図書館史で私の前に博士論文を書かれた吉田氏に対話を申し込んで実現していただいたものです。
管理人キーマスター子どものための図書館サービスに関わる、またそのための専門職員の養成に関わる研究会をはじめることにしました。それらのテーマに関わる研究を進めている方に順に研究報告をしていただきます。学会発表のように、発表時間を所与とせず、発表者にもその他の参加者にも有意義な時間となるように、発表者が他の参加者の様子を見ながら発表の長さや内容を調整してもよいこととしたいと思います。そして、ゆっくりと、質疑応答を楽しめればと思います。
過去3年ほど、立教大学の中で、青栁啓子先生(「児童サービス論」担当)、中山美由紀先生(「読書と豊かな人間性」担当)と、中村(同大司書課程主任)が、水曜日の15時半から17時半ころに、時々集まって、研究会をしてきました。開催の曜日や時間については、当面は同じといたします。場所は、まずは立教大学池袋キャンパスでといたします。しかし、どなたでも参加できることといたします。大学の学部生でも中高生でも、上記のようなテーマに関わる研究に関心のある方は参加していただきたいと思います。自ら手をあげて、発表者となって、話題提供をしていただけるのならば、それも大歓迎です。なお、コロナ渦を経て、Web会議システムが一般化したため、それを活用し、立教大学の外からも参加していただけるようにしたいと思います。
参加を希望される方は、renrakusaki★tane.info(★⇒@)に中村宛にメールをくださいませ。入構やオンラインでの参加のご案内をさせていただきますので、どの日にオンキャンパス/オンラインのいずれの方法で参加されたいかをお知らせください(未定のところは未定でよいです)。
日付 発表者1(質疑応答含め1時間半) 発表者2(質疑応答含め30分) 4/20(水) 青栁啓子さん・中山美由紀さん(ノンフィクション絵本の現状)
発表スライド最終版(青栁;中山)立ち上げ(参加者自己紹介) 5/4(水) 遊佐幸枝さん(東京純心女子中学校図書館での実践の変遷(ライフストーリー)をうかがう会)
発表内容については後日なんらかの形で公開しますなし 5/18(水) 吉澤小百合さん(探究学習と学校図書館についての研究)
発表スライド共有版岡島春暉さん
発表スライド共有版6/1(水) 笹岡智子さん(板橋区立いたばしボローニャ絵本館の実践をうかがう会)
発表内容については後日なんらかの形で公開しますなし 6/15(水) 福永智子さん(公共図書館の読書相談)
発表スライド青栁啓子さん・中山美由紀さん
発表内容については後日なんらかの形で公開します6/29(水) 杉山悦子さん(歴史研究) 大作光子さん
発表レジュメ7/6(水) 片山ふみさん(絵本提供者の意識について)
発表スライド共有版藤田早苗さん (中村百合子)
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