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Journal

2022年から2023年へ!

あけましておめでとうございます。昨晩,日本に14時間遅れて新年を迎えました。私は、ビザにアメリカ国外での書きかえが必要な事情があり、年末年始をまたいでカナダの首都オタワに来ております。昨晩、2022年はどんな年だったかを振り返ってみました。すぐに思い出されるのは、2020年末の叔父の急逝と相続作業、ついでに自分のルーツの再確認が2022年前半のほぼすべて。このプロセスでは、これまでは専門職と言ってしばしば話したことがあったのは各種の医療専門職と弁護士、神父や牧師くらいでしたが、今回、司法書士、税理士の方たちに出会い、大変お世話様になりました。図書館業界同様、業界内の専門性の細分化や業界団体とそれぞれの専門職の先生方の関係性をうかがい知ることができたのは興味深いことでした。夏からは、三人の親の介護問題を含めアメリカ行きの準備をしてこちらに来ました。その過程では、ケアマネージャー、介護福祉士の方たちとそれまでよりもずっときちんとコミュニケーションをとることになり、どのようなお仕事をされている専門職なのかがわかってきて、尊敬の念がほんとうに増しました。他の専門職の方たちのサービスの利用者の側になってみて、司書とは何か、を改めて考えることになりました。

 仕事面では次のようなことを、2022年にやってよかったなと振り返りました。みなさんにお力をかしていただいて実現したことばかりで、感謝に堪えません。

1.研究会

 春学期にボランティア参加の研究会をほぼ隔週で実施しました。価値を見出してくださったり、感謝してくださった方もいらっしゃり、ありがたいことでした。が、各回の実施準備はけっこう時間がかかるもので、やり続けるのは少し厳しいかなと思い、来年度の予定はたてていません。

2.夏休みの図書館見学会@ぎふメディアコスモス

 本学司書課程の兼任講師の中山美由紀先生に仲介していただき、南山大学の司書課程の学生さんたちや浅石卓真先生とご一緒させていただきました。また、同じく本学司書課程で兼任講師をしていただいている中村佳史先生が同館のシビックプライドプレイスのディレクションをされたことから現地で合流してくださったのも嬉しいことでした。同館の総合プロデューサーの吉成信夫さんには見学会後の夕食会にもご参加いただき、多くのご配慮いただき、本当にありがたく存じました。ただ、私は相続の件と渡米準備が佳境でまったく準備の余裕がなく、もう少し予習・準備をしていくべきだったと今になると思います。久しぶりの図書館見学会でしたが、学生さんたちと学外で会うことの楽しさも改めて感じ、また実施したいと思っています。

3.渡米

 図書館に関係する経験については少しずつ、本サイトTANE.infoでも報告していますが、それ以外にも広く、アメリカ社会を知ろうと心がけて活動しています。例えば…ニューヨーク州の運転免許をとろうとしています。筆記試験が終わり、次は講習の受講で、最後に実地試験です。これがとれると、車の保険料がぐんと下がるはず!

4.”公共図書館と学校図書館”という出発点に返る

 12月1日に、茨城県立図書館が企画・実施した、令和4年度関東・甲信越静地区図書館地区別研修で、標記についてオンラインでお話させていただく機会を得ました。スライドではタイトルが「公立図書館」となっているのですが、タイトルを付けた時、なぜ「公立」をあえて選んだのか、後(渡米後)になると思い出せなくなりました。その点、お恥ずかしいのですが、概要の記録という意味で、右にスライドを公開します。このテーマは、私の修士課程時代の関心で、久しぶりに立ち返ることができ、とてもよい機会をいただいたと思って感謝しています。

2023年は…

 次の二つの目標をたてました。

  • サバティカル中の研究成果をなんらかの形にする。正直に言って、まだまだ先が見えません。今はためている段階です~
  • 農林漁業の六次産業化について具体的に学びはじめる。これは図書館とは別の私の関心事で、数年前から無計画に少しずつはじめてきていたのですが、今年は週末を使って、より具体的に学びを進めていこうと思っています。畜産業も関心あるなあ。昨年末に、カナダ農業食糧博物館(Canada Agriculture and Food Museum)に行き、こんな動物たちに会ってきました!これ以外にも、歴史博物館、自然史博物館、美術館を訪問していますが、なぜかなあ、この年になって、私には農業食食糧博物館がほんとうに心に迫ってきますね~
人間が食する1キロを得るのに、飼料として何キロ必要かの正解一覧。でも、食べる部分としてどこまで計算に入れるかというのは、文化によって違うような…
とうもろこし(corn)の粒(kernel)やそれ以外の部分を発酵させ、そのほかにもプロテインのペレットなどを混ぜて作られている牛さんのお食事。
豚さんってとても頭がよいのだそうで。それぞれの牛さんのもとにぶら下がっているボールは遊具なのですと!

(中村百合子)

Editor’s Journey 2 シラキュースからちょっとお出かけ

 アメリカは昨日がサンクスギビング(収穫祭)で、今日はブラックフライデーということで、私のアパートは大学(院)生が中心なので、ほんとうに静かです。大学は今週は人がいなくて、改めて、サンクスギビングがクリスマスと同じくらいかひょっとしたらそれ以上に、アメリカ人にとって重要な祝日だなと思います。ただ、1621年にはじめてのサンクスギビングのディナーがピルグリムたちとネイティブ・インディアンたちで一緒にお祝いされたというお話は、語り継がれてきましたが、近年はそれも、より広い見地から再検証されているとか…

 さて、前回はシラキュースの生活の基盤づくりについて書きました。今回は、こちらに来てから2カ月ほどの間に訪れた、楽しいところをいくつか報告します。私は2016年にこのシラキュース大学(Syracuse University:SU)に、アメリカ議会図書館(Library of Congress: LC)が一次資料を使って学習指導をすることを勧める活動(Teaching with Primary Sources)で紹介して著名になった探究モデル(Stripling Model of Inquiry)を作られたストリップリング教授(Dr. Barbara K. Stripling;現在は名誉教授)にお会いしたくて、来たことがあります。数日の滞在では、人がやさしい町だという印象と、100年ほど前から存在する建物がたくさんあっていいなあというくらいしか思いませんでした。その時にはシラキュースでの生活がどんなものか、まったくわからなかったのですが、今回来てみて、歴史は興味深いし、大好きになりました。

 ニューヨーク州にいると私が日本の方たちに言うと、ほとんどの方はニューヨークシティーを思い浮かべるようですが、シラキュースはあの大都市とはまったく違うところです。それではどんなところかというと…ということで、少し書いてみたいと思います。

たくさんの湖

 シラキュースはニューヨーク州の中央部(Central NY)だと言われます。しかし同時に、ニューヨーク州上部(北部)のような言い回し(Upstate NY)の大きな町の一つというような言い方もされています。シラキュースには、私が滞在しているシラキュース大学の他にもいくつか大学があるのですが、そのうちの一つはUpstate Medical Universityという州立の医大です。このUpstateは、五大湖のうちのオンタリオ湖(Lake Ontario)とエリー湖(Lake Erie)に面するエリアであって、これらの湖の向こう岸はカナダです。加えて,Finger Lakesと呼ばれる、まるで指のように並ぶ縦長の湖群もあります。シラキュース北部のオノンダーガ湖は、この地域にもともとあったホデノショニ連邦(Haudenosaunee Confederacy=フランスの入植者たちはイロコイ連邦(Iroquois Confederacy)と呼んでいた)の中心であったオノンダーガ族が聖なる湖とみなしていたそうです。この湖は、コーネル大学の協力のもとで水質改善が取り組まれています(コーネル大学の関連サイト(英語))。このエリアにはこうしていくつも湖があります。

 左(上)の写真や、このシラキュースに関する連載の毎回の冒頭の写真は、Green Lakes State Parkで撮ったものです。シラキュースに来てから、お散歩やハイキングに時々出かけていますが、この州立公園はシラキュース大学から車で30分もかからないところで、多くの人がお散歩に訪れています。

 シラキュース大学は街中の大学とは言えない気がします。大学キャンパスを出てすぐのところはアメリカの大学の典型的な門前町になっていてレストランや薬局、コンビニのようなお店はあります。片道で徒歩20~30分かければ、ダウンタウンエリアに行くことができます。でも私個人は、アメリカの町の中心はそんなに楽しいところと思えません。しかもここシラキュースは、いわゆるラストベルトの一角ですので、街の中心はかつて栄えていたという雰囲気がどうしてもしてしまうのです。

 でも私は、理由は一言では言えませんが、シラキュースが好きです。ここで出会った人たちが、東京から来たというと、それはまったく違う生活でしょう!と言うのですが、ほんとうにそうで、車で30分でこうした自然いっぱいの場所に行くことができて、幸せです。

おいしいりんごとさりげなく提供される本

 ここにいて何が幸せと言って、一つはおいしい果物とお野菜の存在です。車で20~30分も走れば広大な農地が広がります。ニューヨーク州は、ワシントン州に次ぐ、りんごの生産地だそうで、あらゆるところでいろいろな種類のりんごが売られています。りんごジュース、アップルパイなど、りんごを農園内で加工したものを売る農園も多いです。

 このりんご、とうもろこし、そして小屋(barn)の写真は、コーネル大学のあるイサカ(Ithaca)という町に向かう道すがらのお店で撮りました。三つ目の写真はフィンガーレイクスの本の小屋(Book Barn of the Finger Lakes)という名前の古書店です。オーナーのドラガン氏(Mr. Vladimir Dragan)はとってもウイットに富んだ会話をされる、素敵な方でした。、コーネル大学で建築を学び、古い建物の保存のお仕事をしてきたのだとおっしゃっていました。この赤い建物は最初は牛小屋(cow barn)だった、その後に馬小屋(horse barn)、そして今は彼が本の小屋(book barn)にしているというわけです。

 建物の中で写真を撮るのはだめと言われてしまったので、テレビの取材の映像をリンクしておきます!この映像の中では、ドラガン氏は10代の時にこの本のビジネスを小さくはじめたと仰っています。本が好きなのだなあと思いました。「何十億という、あなたが読むことのできる本があるというのに、ベストセラーに載っている一人の著者に自分の選択を限定する理由はないよ(There are billions books that you can read, why you restrict yourself to one author who is on the bestseller list?)」 「一冊のよい本があなたの人生を変えますよ(A good book change your life.)」などの言葉が響きます。

 私はシラキュース大学内だけでなく、ここに来てから訪れたどこの図書館でも、一切嫌な経験をしていないし、出会うライブラリアンはみなプロフェッショナルで、不満は今のところまったくないです。が、この古書店さんとそのオーナーのドラガン氏は、図書館やライブラリアンたちとは違う角度から心が通じるような、私たちは何かを共有していると感じるような方でした。

 イサカのファーマーズマーケットは一流大学のお膝元ならではのリベラルな雰囲気で、おしゃれでした。マーケットは小さな湖の横で開かれていて、カンボジア料理やピタサンドなどの食べ物のブースもあるので、買った食べ物を湖を見ながら食べている人がたくさんいました。そこには赤いかわいらしい書架が置かれていて、無料で持っていってください、持っていてもいいし、他の人に渡してもいいですと書かれていました。

 青い本箱はシラキュース大学近くの一軒家の前にあって、これも、無料で持っていってよいですよというものです。小さな無料図書館(Little Free Library)という活動だそうです。さりげないけれど、本への愛情を感じます。

 

レストラン「旧図書館」

 旧図書館The Old Libraryという名前のこのレストランは、ニューヨーク州オレアン(Olean)という町にあり、ピッツバーグからの帰路で寄りました。なんと!1909年にオレアンの町の公共図書館としてアンドリュー・カーネギーの資金で建てられた建物だということです。こちらでご紹介した、オーバーン(Auburn)という町のセイモアー公共図書館と同じ、ボザール様式で、同館はアメリカ合衆国の歴史登録財(National Register of Historic Places: NRHP)であるのも同じです。

 設計は、ティルトン氏(Edward Lippincott Tilton)という、当時の、またカーネギーの公共図書館の建築を数多く手がけた方によります。このティルトンという方はなんと!19世紀末から20世紀半ば過ぎまで、欧州からの移民の入国手続きを行っていたエリス島の建築にも参画していて、ニューヨークの建築史では大変重要な人物のようです。レストランは、建物だけでなく、中の書架、階段、暖炉も公共図書館として使われていた当時のままだそうです。

 このオレアンの旧図書館は1910年に開館しましたが、1974年に新図書館ができて、それから1979年まではこの建物は歴史協会(Olean Historical Society)等の建物として使われていたそうです。

 ちなみにこちらのお料理はとってもおいしくて、私がオーダーしたのはイスラエルのクスクス料理(The Mariaという名前になっていました)というものだったのですが、これは今回、アメリカに来てから食べたものの中で今のところ最も美味しかったものです。オレアンの街並みは美しく維持されていて、今回これまで訪れた町の中では、今のところ私の最も住んでみたい町です。新図書館も見てくるべきでした!

 といったところで、まとまりませんが、今回はこのあたりで。

(中村百合子)

Editor’s Journey 1 米国NY州シラキュース

中村百合子です。2022年度秋学期から1年間の在外研究を許可され、9月17日に米国NY州の北部にあるシラキュース大学(Syracuse University: SU)に来ました。この1カ月、バタバタしていて、何かを書くという状況にありませんでした。こちらに来てからアパート探しをして居場所を整え、車の購入をして3週間が過ぎました。この連載では、今のアメリカについて、見たこと、考えたことを書いていこうと思います。今回は、今のアメリカの物価のお話です。

生活費

 インフレ、円安が話題でしたので、ものの値段について、恐れに恐れていました。ニューヨーク州北部(Upstate New York)は、日本人の多い大都市に比べればずっと生活費が安いことはもちろん想像してきていますが、実際にどんなものかは来てみないとわからないと思っていました。この3週間の感触は、東京とほぼ同じ額の支出だなというところです。ただ、子どものいない私には、子どもにかかるお金のことは一切わかっていません。よって、端的に言えば住居費と食費の話になります。この、大都市から離れた町(NY市内に車で5時間といったところ)でこれなので、都市部は東京に住むよりもずっと大変だということが想像できます。

 賃貸アパート探しはシラキュース大学近辺、具体的には大学の徒歩圏または車で10分もかからないところと決めて、インターネットで数か月前から見ていました。家具を全部揃えるのは非現実的なので,家具付き(furnished)で探しました。しかしインターネット検索では決めきれず、結局、こちらに来て3軒を見せてもらい、最後のところで決めました。どこも日本に比べれば広々した感じなのですが、安くはなく、1ドル145円のレートで日本円にすると、光熱費込みではありますが、20万をゆうに超えます。アメリカの大学の近くには10万~15万でかなりいいアパートが見つかると25年前の経験から思っていた私には、うわーどこも高いなという感じでした。はっきり申しまして、私の見たアパートはどれも、このエリアの中では安い部類のアパートです。平穏を感じられるということが必要十分条件でした。私より少し年上のSUの教員は、昔は大学の近くに、500ドルでまあまあのアパートが見つかったわよねと言っていて、私と同じような90年代の思い出を話していると思いました。アパートは倍以上の価格になり、そこに円安が加わっているということかと思います。私のいるところは、2022年のはじめくらいのレートになれば月に20万円をじゅうぶん切ることになるので、これから年末くらいまでの辛抱だといいなと思っているのですが。

 ちなみに、家具と言って、ソファとダイニングセット、ベッド、チェスト、テレビや照明器具をこちらの管理会社は貸してくれました。キッチン用品は、昔は置いていたけれど、今は貸していないとのことで、それをいくらか買った支出が痛かったです。生活用品は、WalmartやTargetというような大手スーパーのほか、Amazon、また救世軍(Salvetion Army)の寄付された中古品を売るお店を使いました。どこも、日本でなら100均にけっこうあるんだよなあと思うと、高いです。こちらもDollar generalといった百均のお店はいたるところにあり、私も行っていますが、実際には価格は1ドル25セントになっていて、200円近いことになります。それ以上の値段の商品も多いです。

 食費については、東京にいたときに想像していたとおりになりそうです。過去に私は、アメリカは食材が大きな単位で売られているので、一度の支払いはそれなりになるが、1か月くらいで見ると、日本よりもずっと支出は少なくなるという経験をしてきました。おそらく、食費は、インフレでものの値段があがっていることが加わって、1か月単位で東京と同じくらいになると思います。ちなみに外食は何度かしましたが、最も安い選択肢だろう中南米料理やピザのテイクアウトでも、千円でおいしいものが食べられる日本のようには今のアメリカではいきません。テイクアウトではなく、席に座ってサービスしてもらったら、チップを入れて一人25ドルを最低ラインと考えないといけない感じです。ちなみにアジア料理は…帰国して食べるのがよさそうです。

 先週土曜日に納車された車は中古車ですが、この車探しが一番大変でした。中古車の値段は世界的に上がっているようですが、最初、1万ドルを切るような値段の車、それでも150万なわけですが、を入手して、壊れるくらい乗って誰か学生にでもあげて帰ろうと思っていたのですが、そのやり方は適当ではないということが、何軒か中古車販売店を回っているうちにわかってきました。わたしは東京でホンダの、数十万で購入した中古車に乗っていますが、平和です。でも、今のアメリカで1万ドル以下の車って、10万マイル超え、つまりすでに16万キロ以上走ってます。すごく古そうでもう何十万キロも走っていそうな車が平和そうに走っているのをアメリカではよく見かけるので、ああいうのがいいなあと思ってましたけれど、1年という短期間の滞在でその選択をして、しょっちゅう車の修理にお金や時間をかけるというわけにいかないですよね。結局、今までの人生で二番目に高いお買い物をして、これから事故らないように乗って、なるべく高く売って帰国するということにしました。事故を起こしませんように!ちなみに、訴訟国家アメリカの保険には対人無制限などというものはなく、その点、リスクたっぷりです。 

 車探しは最初、何が欲しいというのがなかったので、ネットで評判のよい中古車販売店を回って、営業さんに予算や事情を話して、試乗(test drive)をほんの少しさせてもらいました。英語で車の購入についてネットで調べると、「used car salesman」(中古車販売セールスマン)というのが、饒舌で信用できない人の代表のように書かれているので、どんな人たちかと思っていました。まあ、確かに結果としてそうなってしまうこともあるのでしょうが、こういう大都市ではないところで長く商売をやっている人たちがまったく信用ならない人たちなわけもないのではというのが私の考えです。最初に会っていろいろ教えてくれたシニアと言ってよいだろう営業さんは、「inegrity」を大事にしている、つまり誠実にやっていると自分(たち)のことを言っていました。「I work hard for you!」と別れ際に言われたのが印象的でした。「がんばります」ってことですよね!?いろんな営業さんに出会いましたが、みなさん、よくしてくださったと思ってます。ちなみに、1万ドル以下で探していると言うと、どこでも、それならホンダと言われます。ホンダは日本で乗ってるからつまらないなあと言うと困ったなあ…となる。トヨタ、スバル、日産はこの価格帯ではありませんでした。アメ車はなぜか(日本人が相手だからか)勧めてこない。あとはワーゲンを勧めてきます。ドイツ車はアウディやベンツの古いものもこの価格帯にけっこう出ていますが、結局、ガソリンがハイオクになり、故障となれば部品が高価になるということで、乗り心地はやはりいいですが、営業マンは積極的には勧めてきません。雪のたくさん降るこの地域ではスバルの評価がべらぼうに高く、私も試乗ですっかりファンになりましたが、これもまたほんとうに値段が下がってません。今のところまだ、概して日本車への評価はとても高く、run forever(永久に走る)と思ってもらえているのだと思いました。

 なんと8軒も回ってやっと欲しい車種とこのくらいの予算でというのが決まって、一晩それで在庫を検索して、翌日隣町まで9軒目を訪ねて行き、その場で決めました。担当してもらった営業マンは、こちらから聞かない限り何も教えてくれない、どちらかと言うと無口な若者でした。アメリカの中古車業界も、ネットが出てきて、営業スタイルから何から変わってきているのだろうと思いました。ネットがある今、価格も条件もかなり、ネット上で比較できてしまいます。ピンポイントで一台を見に来たような人に饒舌に営業する意味はあまりないと思う若者がいても驚きません。回ったところのほとんどは地元密着のお店で、正規ディーラーは高いように思われて一軒も行きませんでしたが、一軒、EchoPark Automotiveというアメリカで広く展開されている中古車販売店に行きました。新古車のような新しめきれいめの車を多く扱っていて、価格は表に出されているところから変わらない、徹底的に情報を開示するという販売方法のチェーン店です。そこで出会った営業さんは、元は空軍で働いていたという真面目そうな方で、中古車業界にはあまりよくない人たちもいるから気をつけてというようなことを言ってくれました。素人はほんとうはこういうわかりやすい会社で買うのが安心なのだろうと思いました。回った9軒のどこでも、私には価格交渉はまったく無理というのが私の感触でした。

学費

 米国の大学がいっぱんに学費があがってきていることはもちろん聞いてきていましたが、SUは米国の大学の中でもとっても高いグループで、正規学部生でなんと年間5万ドルをゆうに超えています。大学が試算している学部1年間の学修経費は、なんと87,070ドルです(大学発表データ)。1千万円じゃ済まないという話です。情報学修士号(図書館情報学のコースなどがこの傘の下にある)は6万ドル強のようなので(大学発表データ)、学費だけなら日本円で1千万程度です。

 こんなアメリカの私立大学に日本から留学ってできるのかなと思います。キャンパスでよく見かけるのはインド出身と思しき学生で、中国語もたまに聞こえてきます。今のところ日本語は聞いてません。学生も教員も白人がどう見ても半数を超えています。ちなみに学生数は、立教とほぼ同数の2万人強です。ただし院生の割合がSUは約30%、立教大学は約5%。学生-教員比率は、SUが15:1で立教は約40:1。院生が多いSUの方がこの比率はよくなりますよね。

 私が留学してからいろいろな場所で出会った日本人は、社会人を何年かしてお金を貯めて、学費の安い大学を選んで留学している人がほとんどで、あとは奨学金か会社が出しているかだったと思います。留学費用の工面の大変さはいつも変わらないような気もします。ただ、今のアメリカに来ることに価値を見出す日本の若者がどれだけいるかというと、きっと昔よりずっと少ないでしょうね。

治安

 シラキュースのローカルニュースサイトSyracuse.comのニュースを見ていたら、今年の4月に書かれた「シラキュースにおける子どもの貧困」と題したニュースに出会いました。人口10万人以上の町の子どもの貧困率で、シラキュースは48.4%で、全米1位だと言うのです。ただこの種の数字は、子どもがいて大学院に通うような人も含まれている数字で、大学が複数あって存在感の大きい町では高くなる傾向があるようです。一方でFBIの犯罪率ではシラキュースはまったく上位に出てこないそうです(Syracuse.comの2019年の1月記事)。シラキュースは家が安く買えて生活費も安いから、全米統一の貧困率指標は意味をなさないと、私がこれについて聞いた大学関係者は答えてくれました。どうなんでしょう。これからよく見ていきたいと思ってます。

 実際、この町では大都市のような緊張感は必要ないし、私は勉強にいいのどかさだなあと感じます。でもこれは一方で、特に若い学部生たちは、大学に閉じ込められるというか、大学の特に人間関係がここでの生活のすべてを決めてしまうようなところがあるのではないかと思います。キャンパスに隣接するエリアに住んで学生たちを見ていると、キラキラした学生ばかりに思われて、裏を返せば、私には見えていないスクールカースト的なもの(cliques)があって、目立って目に入ってくるのはキラキラした学生だけなのかもしれないなと思います。

図書館は…

 シラキュースに到着してこの3週間は、私にとっては勉強の環境づくりの期間だったと思っています。SUの図書館については、二つのオンラインの新入生向けと思われるセミナーに出て、オンラインの資料やツールの使い方を学び、アカウント設定をしました。公共図書館は徒歩15分ほどの分館を見に行ってみました。まだカードは作っていません。利用者としての経験が増えてきたところで、何か報告ができればと思っています。

 それから、SUの情報学大学院(iSchool)については、一度、教員会議とそれに続いたFDのような集まりに出させてもらいました。こうした会議にはまた出させてもらってゆくつもりです。また、少しずつ、いろんな教員と交流していこうと思っています。そうした報告も、改めてできればと思っています。

Editor’s Bookshelf 3『ヒルビリー・エレジー』

「困難」にいかに向き合うか?

中村百合子です。今学期(2022年春学期)、大学院のゼミの履修生は3名でした。ゼミのテーマは、前年度の秋に、私のもとにいる、一名の修士院生と相談して、大きく、「マイノリティおよび先住民のための教育」に設定していました。結果、このテーマに関心をもった三人の修士院生が集まってくれました。私の院のゼミは毎年、受講生たちがそれぞれに自分の修士論文のテーマと、ゼミのテーマの関連のもとに、探究するテーマを設定し、それぞれに検討・報告する文献を持ち寄る形にしています。今年は、次の三冊を各学生が選択肢+最後に三人の希望で『公共性』という一冊が加わり、計四冊を検討しました。いつの間にか、ゼミのテーマは「被抑圧者」になっていました。

 『日本の「中国人」社会』は新書形式なので、読みやすいですが、中国からの留学生がかなりクリティカルな目線から報告したので、大いに盛りあがりました。フレイレの『被抑圧者の教育学』は私にとってもバイブルと言える一冊ですが、私が院生のころには、1979年出版の、英語からの日本語訳のこの版でみな、学んでおり、2011年と2018年に三砂氏によって、ポルトガル語を翻訳したものが出されていました。この新訳と旧訳を照らし合わせ、翻訳書で学ぶという課題に思いっきりぶつかり、挫折感をみなで抱きながら、少しずつ議論を進めました。この一冊については、また改めて、大学院生たちと一緒に読みたいなと強く思っています。

 さて、今回読んだ中で、私にとってとりわけ新鮮だったのが、『アフリカ系アメリカ人という困難』という一冊でした。出版当時、『日経新聞』にも『アメリカ太平洋研究』にも『西洋史学』にも『アメリカ史評論』にも、書評が出ていましたが、不勉強な私は、学生に教えてもらって今回、知りまして、これまで読んでいませんでした。

 同書の、8人のアフリカ系アメリカ人の歴史的な人物を取りあげて、各人がどのように「アフリカ系アメリカ人という困難」に向き合ったか、その活動や思想を分析するという研究手法は、私が少しずつ進めてきている、司書教諭や司書の方たちのライフストーリーを書き残すという作業 [注1]と動機を一にしていると思いました。日本の学校図書館で働く人たちは、たいてい職場に一人なので、周りの人たちに自分の仕事を理解してもらい、正当に評価してもらうために、工夫をする必要があり、そのことから一人静かに努力しないとなりません。それは、アフリカ系アメリカ人の方たちがマジョリティの白人たちと同じように認められていくためにしてきた工夫や努力とはもちろん異なりますし、日々何を思い、どのようにして周囲の理解を求めることとしてふるまうか、さまざまな「困難」へのアプローチはほんとうに一人一人、異なります。「困難」を見つめることを避け、解消に一切関心をもたない人も多いです。でも、多かれ少なかれ、みな、自分が所属するコミュニティでより快適に生き、正当に働きを認められるように、工夫し、努力するものですよね。そのライフストーリーを書き残す作業を、私としてはしているつもりです。時代や置かれた場所の制限の中で、何をどのように求めたかをみていくと、学校図書館専門職とは何かがみえてくるような気がするのです。そして、こうしたライフストーリーの記録が、読み手・聞き手に自らの生き方を考えさせてくれるという点は共通していると思います。

所属を変える苦しみ

 この授業に先だった春休みに私は、『ホワイト・フラジリティ:私たちはなぜレイシズムに向き合えないのか?』(ロビン・ディアンジェロ著,上田勢子訳,明石書店,2021)を読んでいました。この一冊もいろいろなところで取りあげられていて、大変、広く読まれている一冊ですね~(Editor’s Bookshelf4として次に取りあげようと思っています)。この本と合わせて、トランプ大統領が誕生した2016年に出版されてベストセラーとなり、2020年にはNetflixで映画化もされた『ヒルビリー・エレジー:アメリカの反映から取り残された白人たち』(J. D. ヴァンス著,関根光宏・山田文訳,光文社,2017)と、同じころに出された類似のテーマの本『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人びと:世界に吹き荒れるポピュリズムを支える”真・中間層”の実体』(ジョーン・C・ウィリアムズ著,山田美明,井上大剛訳,集英社,2017)も読んでみました。アメリカはこの秋、中間選挙で、トランプ前大統領や彼を支持している白人の人たちがしょっちゅう日本のマスメディアでも話題にされていますし、そのことを改めて考えてみたくなったのです。

 『ヒルビリー・エレジー』の筆者のJ.D.ヴァンス氏は、ヒルビリー(hillbilly)つまりアパラチア山脈地方の人(に向けられた蔑称)のアイデンティティをもって育ち、海兵隊、オハイオ州立大学を経て、イエール大学の法科大学院を出ました(この秋、11月の中間選挙でオハイオ州から共和党候補者として立候補しています)。エレジー(elegy)つまり哀歌というタイトルのとおり、同書では、経済的に不安定で、アルコールや薬物への依存症や暴力などが身近に日常的に存在するコミュニティにあって、できる限りの、いや、惜しみない愛情を注いでくれ、希望を見せようとしてくれる大人たち、そして努力する著者が描かれています。そのことを著者は冒頭で、「アパラチアに暮らすヒルビリーの家族の目を通して見た、社会的機会と社会的地位上昇の歴史を描いている」(p.17)と説明しています。まさにそうです。

 この本の中では、図書館が三か所(p.105,111,350)で言及されていて、最初の2カ所は共に母親が公共図書館の利用を手引きしてくれる話で、最後の一か所は大学院生時代に「自分のなかの怪物」と闘うために、図書館に自ら行って調べるという話です。私の目には、図書館も著者の社会的地位上昇やいわゆる成長に貢献している、希望を図書館が、図書館の利用を手引きしてくれた母親が示してくれたという、とってもいい話にもちろん見えます。そうなのだけれど、ここで私が同書の読後感として書きたいのはそのことというよりも、そうした社会的地位上昇という所属グループを移動するその過程においてだけでなく、いわゆるエリート、法科大学院の卒業生という高級専門職の一員になった後も、著者が自らが育ったコミュニティで支配的な文化との乖離から葛藤し続け、ある意味で苦しみ続けているということの衝撃です。あっけらかんと、移れてよかったという話ではない。彼が描いたもう一つの「哀愁」が、彼の感性の豊かさを示しているように思われ、哀しいけれど、いいなあと思いました。彼が政治家として、ヒルビリーのアイデンティティをいい形で活かしてくれたらと思います。

 同じ白人と言っても、田舎の小さな町に留まり安定した職に就くことが難しい状況から抜け出せないグループと、高等教育に進み、イエールのようないわゆる名門の法科大学院を出たグループとの間に大変な文化の違いがあり、互いに理解することが困難で、時と場合、人によっては、理解できないことから敵意のような感情すらもつという [注2]、そういう状況になっているという、その問題の深刻さは重大だと思います。少し話はズレますが、メディアバイアスチャートがアメリカでは複数、作られています(Ad Fontes Media社によるものAllSides社によるもの)。それぞれに熱心な読者がいるとすると、インターネット上のフィルターバブル同様、マスメディアによってもバブルの中に人びとは孤立していっているわけですね。そして、『ヒルビリー・エレジー』に描かれているように、日常の所属するコミュニティ(家庭,親族,学校等)における日常会話の中でも、人はある種の偏見を日々強化していく。『アフリカ系アメリカ人という困難』でも、同種の動きが描かれています。そして、そのアフリカ系アメリカ人のコミュニティから抜け出そうとしたり、そのコミュニティを変革しようとしたりする8人が、それぞれに正しいと思う戦略で、奮闘していくわけですが……白人の間にも、アフリカ系アメリカ人の間にも、抑圧的環境から少しだけ抜け出したのかもしれない専門職らのグループと、専門職らのグループから見ると被抑圧者に見える労働者グループという二つのグループ間の緊張関係という構造があるのだと思いました。

「文化」の乖離

 『ホワイト・ワーキング・クラス』では繰り返し、白人の労働者たちと専門職のエリートの文化が次のように対照されて示されます。腑に落ちることがいっぱい![注3]

 もちろん専門職のエリートも勤勉さを重んじている。だが意味が違う。ワーキング・クラスにとって勤勉さとは、自分を厳しく律し、「反抗的な態度」を取らない(権威に従う)よう自分の気持ちを抑え、好きでもない単調な仕事を40年間続けることだ。一方、エリートにとって勤勉さとは、自己実現のための手段である。エリートは仕事で「対立」しても、新規事業を立ち上げ、それを成功に導けばいい。だがワーキング・クラスが仕事で対立すれば、職を失う。(p.40)
 ワーキング・クラスからすれば、専門職は常にあこがれの対象というわけではなく、その能力を疑いの目で見ている場合が多い。管理職のことは、「何をどうすべきかまるで知らないくせに、人にどう仕事をさせるべきかについてはいろいろと知っている大学出のガキ」としか考えていない。バーバラ・エーレンライクは1989年の著書の中でこう回想している。「ワーキング・クラスだった父は、『医者』と言うときには必ずその前に『やぶ』をつけていた。弁護士は『悪徳弁護士』で、(中略)教授は例外なく『にせ教授』だった」。社会学者のアネット・ラローも、医師など医療の専門家への不信感を指摘している。またワーキング・クラスの親は、子供の教師に反感を抱き、こちらを見下していてまるで役に立たないと考えているという。教職員組合を攻撃する保守派をワーキング・クラスが支持する理由は、そこにもあるのだろう。(p.48)
 伝統的な家族的価値観に重きを置く態度もまた、専門職階級との対立を生み出す原因となる。エリートは、自分が洗練されていることを示すために、アバンギャルド(前衛的)な性的傾向、自己実現、家族形態に寛容な態度を示す。アバギャルドは、19世紀初めに始まった、「主に文化的な領域で、規範や体制として受け入れられてきたものの境界を押し広げる」芸術運動である。この、当時のヨーロッパの芸術家の間で始まった「慣習への挑戦」が、21世紀アメリカのエリートの文化世界に受け継がれている。彼らエリートは”小市民”とは違い、アバンギャルドな性的傾向を受け入れることを誇りとする。(後略)(p.59-60)
 ワーキング・クラスの男性は、こうした仕事へのこだわりに反感を覚える。あるセールスマンは、あまりに働きすぎる人びとを「何も見えていない」と非難する。「人生をすっかり見失っている。(中略)取りつかれたように意欲的な人というのは、自分が目指している地点以外、何も見えていない」。ワーキング・クラスの男性に言わせれば、仕事第一主義は単なる自己陶酔に過ぎない。ある電気技師は言う。「あいつらは自信家で、自分のことだけにかまけ、ほかの人のことを気にかけない。(中略)いつも自分、自分、自分だ。おれはそんな人間じゃない。だからあいつらのことを好きになれないんだろう」(p.67-68)

 大学という、アメリカの中でも特殊な(メディアバイアスチャート的に言えばどっぷりと左側に位置する)コミュニティの人たちとばかり交流している私には、こうした本を通してしか、そのコミュニティの外の人たちの文化にほとんど出会言えません。正直に言うと、本で読んでも、実はわかっていないだろうと思います。むしろ、本を通して、わかった気になったり、偏見をもったり、悪影響を受けているという面が大きいような気がします。国内であっても、例えば、誰が、どのような思いで、自分が投票していない政党に投票しているのか、なんらかの統計データを見せられても、私はわかった気がしたことはありません。自分のこともですが、自分以外の人(個人・集団)を理解することはほんとうに難しい… [注4]

 それでも、世界のあちらこちらのあらゆるコミュニティにどっぷり浸かって、その人たちを知って、ということは人生は短くて叶わないわけで、やっぱり本を通してでいいから知りたいなと思い、読んでしまう…悲しい性(さが)であります。本を読んでいる時間で、目の前の人やコミュニティともっと向き合いましょうというアドバイスがどこからか聞こえてきそうです。


[注1] Here Comes Everybody編集委員会『Here Comes Everybody : 足立正治の個人史を通して考える教育的人間関係と学校図書館の可能性』中村百合子,2011.;『私の学校図書館半生記:司書として、司書教諭として』編集委員会編『私の学校図書館半生記:司書として、司書教諭として』中村百合子,2013.;「子どもの読書活動と人材育成に関する調査研究」【地域・学校ワーキンググループ】報告書[付録]「読書教育専門職のライフヒストリーの聞き取り調査」(脇谷邦子氏(元・大阪府立図書館司書),宅間紘一氏(元・関西学院高等部読書科教諭兼司書教諭))

[注2] SEKAI NO OWAEIのプレゼントという曲の歌詞を思い出しながら、ここを書いてみた。

[注3] 『ホワイト・ワーキング・クラス』中には、司書が一か所だけ、次のように、言及されているので、いちおう書いておく。「2006年、ニューヨーク・タイムズのコラムニスト、トーマス・エッゾールは、民主党の支持者を大きく二つに分類した。一つは社会的少数者、労働組合員、公務員、貧困層から構成される『下層支持者』たち。もう一つは研究者、司書、心理学者、人事担当の管理職、編集者などを含む「上層支持者」―つまり、しばしばビジネス志向のエリートと対置される存在である「改革志向のエリート」たちである。エッゾールは以下のように述べている。「高い教育を受け、自由主義の傾向が強く、しかも比較的裕福な改革志向のエリートは、民主党支持者のなかで大多数を占めるわけではない(40パーセント)。しかし、活発に政治活動を行う彼らが、実質的に民主党の政策の方向性を決定している」。こうした状況は2006年の時点だけでなく、今でも変わっていない。」(p.211-212) ここに書かれていることは、私が知っているアメリカのライブラリアンたちの政治志向や政治行動と一致しています。

[注4] 同じくSEKAI NO OWARIの最近のヒット曲Habitも、図書館情報学や社会学などなど…近代の学問に対する痛烈批判にも聞こえて、私はとても好きだ。この歌を、「燃えるゴミとか燃えないゴミとかとか…君らは分類しないとどうにも落ち着かない」と言いながら、ゴミの分類をしている人を見かけました…日本(地域によるのでしょうが)のゴミ分類って異様に細かくない?

Editor’s Bookshelf 2『地域社会のつくり方』

『地域社会のつくり方:社会関係資本の醸成に向けた教育学からのアプローチ』という、力作をご紹介します荻野亮吾氏(佐賀大学准教授)が今年、2022年の1月に勁草書房より出されました。荻野氏は佐賀に移られる前、2020年度まで、立教大学で「生涯学習概論」を教えてくださっていました。このご著書を拝読して、なかなかお目にかかってお話できなくなったことを改めて残念に思ったところです。

 同書は、荻野氏が2014年に東京大学の教育学研究科に提出された「社会教育とコミュニティの構築に関する理論的・実証的研究:社会教育行政の再編と社会関係資本の構築課程に着目して」という博士論文に加筆、修正を加えたものということです [1]。新しい本として出版するにふさわしく、『地域社会のつくり方』というタイトルに沿ってストーリーが改めて作られて、博士論文よりは、同じ領域の研究者以外にも読みやすくなっています。これから書評も出てくると思いますが、私は、図書館情報学者として大いに刺激を受けたところがあるので、以下にそのことを書いてみたいと思います。

 この本は、タイトルのとおり非常に未来志向のもので、また、地域社会における社会教育の意義を社会関係資本の醸成という観点から解き明かしたものだと思われ、それは議論として説得力があります。その醸成過程は、定量的分析と事例分析を含む定性的な分析によって第4章から第6章において描かれています。が、日本で図書館情報学者をしているアラフィフの私にとっては、その説得力が本書の本体であることは重々承知のうえで、それでも、第3章までの理論的根拠の議論に惹かれました。特に第2章「社会教育学の基本的構造と課題」に強い関心をもちましたそれは、図書館情報学が、戦後の日本においては、ひとつには教育学の中に育てられてきた [2] ということと関係があります。(以下、引用部分の一部の文字をボールドにしたのは私です。)

戦後日本における図書館と社会教育の関係

 図書館法(1950年4月30日交付)の第一条は次のようになっています。

第一条 この法律は、社会教育法(昭和二十四年法律第二百七号)の精神に基き、図書館の設置及び運営に関して必要な事項を定め、その健全な発達を図り、もつて国民の教育と文化の発展に寄与することを目的とする。

そもそもとして、社会教育法の第九条は次のように図書館について定めています。

第九条 図書館及び博物館は、社会教育のための機関とする。
2 図書館及び博物館に関し必要な事項は、別に法律をもつて定める。

つまり、図書館は社会教育の施設と、現代日本では考えられているわけです [3]

 ですから、その検討も、一つには社会教育との関係でされてきました。例えば東京大学では、教育学部の教育実践・政策学コースのもとに図書館情報学が置かれており同コースの説明のページには次のようにあります。

教育実践・政策学コースは,教育という現象あるいは作用の本質を「現場」と「制度・政策」の関係を通じてとらえる研究領域です。他のコースが人文・社会・自然科学の個別の方法を重視しているのに対して,本コースは対象に即した現実的なアプローチにより,対象に迫ることを目指しています。ここで「現場」とは,(1)保・幼・小・中・高で展開される教育実践,(2)地域や公民館・図書館・博物館・文化ホールなどの施設で行われる文化活動や社会教育活動,(後略)

同コースは大学院では生涯学習基盤経営コースという名称になっていますが、同コースの説明のページでは、次のように書かれています。

このコースでは、学校教育の終了後あるいは学校教育の外で人が営む様々な活動を、「学習」の視点からとらえ、生涯にわたって人が営む学習活動とそれを支える組織・制度・環境・技術などの「基盤」について研究しています。

コースは、主に社会教育や生涯学習の活動を研究対象とし、また学習の視点から社会をとらえる社会教育学・生涯学習論研究室と、図書館などの活動や人々の「知」の創造と利用形態を扱う図書館情報学研究室という、二つの研究室から構成されています

同じく教育学部のもとに図書館情報学が置かれる京都大学では、生涯教育学講座が、メディア文化論、社会教育学、図書館情報学で構成されています。教育学の中に、社会教育学の一部として、もしくは社会教育と共に、図書館学が置かれるということは、戦後教育法制における図書館の位置付という意味で、合理性があります [4]

 さて、前説が長くなりましたが、ここで言いたかったのは、主に教育学部で図書館を研究してきた私にとって、社会教育学は親分野と言ってよい分野であり、近接領域であったということです。”学校”図書館を研究しているので、学校教育学も親分野なのですが、究極的にどちらかと問われれば、理論的な影響力は社会教育学が私には大きかったです。(一方で、アメリカの図書館情報学(Library and Information Science)の独立した存在(discipline=学問分野)たらんとする領域とまたその研究者たちからも、大きな影響を私個人は受けてきています。)

社会教育分野の議論の図書館関係者への影響

 荻野氏のご著書の特に前半、第3章までで感じたのは、社会教育学の研究者の方たちの理論構築への意欲の強さです。プラグマティックな傾向の強い図書館研究者たちとは異なるレベルでこの指向性があるように思います。しかし実は、日本の図書館関係者は、この社会教育分野の理論構築に向けての議論から、おそらく社会教育の関係者たちに少し遅れて、いつも大変に影響を受けてきていました

 例えば1960年代から1970年代に、社会教育学の論理に関わってどのような議論があったか、荻野氏の整理を以下に引用します(それぞれp. 58,58-59,60,63からの引用)。

 この1970年代の住民運動と密着した社会教育学の形成について、小林[文人]は、「最近-ほぼ1970年代以降-の状況として、社会教育を自己教育としてとらえ、その主体たる住民がみずからの要求を政策・行政に反映させていこうとする積極的な動向をみることができる」として、「それはとくに「国民の学習権思想」に立脚して社会教育を権利としてとらえる発想に基礎をおいている」とまとめている(小林1976:232)
小川[利夫]は、社会教育の本質を「社会教育行政」と「国民の自己教育」運動との外材的・内在的矛盾関係にあると見なす。(中略)(小川1964:51)(中略)この議論では、社会教育を、国民(住民)による国家(行政)への「対抗的参加」として措定し、国民の要求を取り込む形で国家(行政)によって保証されていく組織化の過程にある行政的営為として捉えている。(中略)この時期の社会教育学は、行政との「対抗性」を掲げながらも、行政による権利保障を暗黙の前提としてきたと言える。
 ここまで取り上げてきた社会教育学の特徴は、行政や企業の意思決定に批判的に関与する「対抗的参加」と、運動としての参加に内在する市民の「主体形成」を結びつける点にある。運動によってなされる「主体形成」は、社会科学・自然科学の学習による「真理」への接近と、運動の過程での市民意識の醸成という2点から構成されていた。
 このように、1960~1970年代に形成された主体形成論とは、市民(住民)が学習をつうじて、行政を中心としたシステムの中で「抑圧」されている構造を自覚し、行政への「対抗的参加」によってその構造を変えることを重視するものであった。

 繰り返しになりますが、上記の議論は、1960年代から1970年代のものです。このあと、政治学者の松下圭一が1980年代に展開した社会教育の終焉論にまつわる議論があり、また「「コミュニティと教育」の問題は、「参加(参画)」や「共同(協同)」といった文脈で論じられるように(後略)」(苅谷[剛彦]2004:8)なっています(p. 68)。そして、内発的な主体性の形成を議論の中核に置く考え方である「個体論」的アプローチから、「関係論」的アプローチへ切り替える(小熊2012:351)という展開が、荻野氏によって同書で提案されています(p. 77)。しかし、上記の引用箇所のような議論をまったく聞いたことのない、今の日本で40代以上(たぶん)の図書館関係者は皆無ではないでしょうか?1990年代の図書館学でも、まだこの引用箇所のような(つまり社会教育分野では1970年代に熱かった)議論は、よく聞かれていた、これをベースに図書館の理論的根拠を語ることは一般的であったと私は記憶しています。

 主体とは、という問いは教育学の、人間や社会を問うときの最も根本的な問いの一つでしょう。それは「個」の中にあると同時に「関係」の中にあるというようなものでしょう。しかし、図書館に関わる議論では、あまりにもさらっとそうしたことを口にしているような気がします。主体的に、主体性を…云々。「的」や「性」を付けると、少し、厳しい議論から逃げられそうです(笑)。荻野氏のこの第2章の整理で、社会教育学では、戦後、そのことをずっと、理論的に議論してきたことがわかります。私は1990年代半ばから社会教育学の近くにいて感じてきたことがいろいろとありましたが、より視野が明るくなったように思いました。

小布施町の「まちじゅう図書館」に参加するお酒屋さん松葉屋本店の棚

 非常に厚みのある議論が展開されている同書について、私もまだまだ書けそうです [5]。しかしまずはいったん、同書が日本の図書館情報学や戦後図書館史研究に多くの示唆を与えてくれるということを指摘して筆をおきます。

(中村百合子)


[1] 同博士論文は東京大学の学術リポジトリから読むことができる。教育学の博士論文の一つの模範といってよいようなものですね。

[2] 教育学の中の図書館情報学については、前に「学校図書館研究のための大学院進学」という文章の中でも書いたので、関心のある方はご覧ください。

[3] 私が今、立教大学で置かれている部局は、「学校・社会教育講座」という名称ですが、これは学校教育と社会教育に関する講座という意味で、「学校教育」として実際には中学・高等学校の教育職員免許状(教員免許状)を取得するための課程が置かれていることを指しており、「社会教育」としては実際には学芸員課程、社会教育主事課程、そして司書課程が置かれていることを指しています。これは戦後の教育法制のもとで置かれた免許と国家資格の付与のための講座だということです。ちなみに、本学では、司書課程の中に、学校図書館司書教諭コース(司書教諭資格取得のため)という学校教育の免許取得課程への登録を前提としたコースもありますが、受講生が多いのはもう一方の、図書館司書コースという司書資格取得のコースです。

[4] ただ、図書館法の位置付が戦後初期の日本での図書館員養成の制度化と大学における図書館関係の講座等の設置にどう影響したかは明白ではありません。このあたりのことは、今も研究の対象であり、何がどう影響したかを簡単には言い切れないところがあります。三浦太郎, 根本彰「占領期日本におけるジャパン・ライブラリースクールの創設」『東京大学大学院教育学研究科紀要』第41巻, 2001, p. 475-489. は一つ重要な先行研究です。東京大学、京都大学、慶応義塾大学等で、図書館直下、文学部、教育学部と、図書館学の置き場所が検討されていたことがわかります。その決定は、外部によるものではなくて、各大学の中の事情が大きかったようです。

[5] 同書ではR. パットナムの研究が各所で引用されています。そのうちの一つ『アメリカの恩寵:宗教は社会をいかに分かち、結びつけるのか』『われらの子ども:米国における機会格差の拡大』『孤独なボウリング:米国コミュニティの崩壊と再生』は、私が前任校でお世話になった柴内康文氏による名訳です。柴内氏を本学にお呼びして、「図書館とソーシャル・キャピタル」のタイトルでお話していただいたことがあります(記録はこちら)。また、私は、『アメリカの恩寵』について、つたない感想文ですが、個人的なブログに書いたことがあります(アメリカの恩寵:宗教は社会をいかに分かち,結びつけるのか』(続)『アメリカの恩寵:宗教は社会をいかに分かち,結びつけるのか』)。

(以下、2020年4月11日に追記)社会教育ではないのですが、成人教育と図書館の発展の関係について、吉田右子氏に教えていただいたことがあったのを思い出しましたので、その時の記録をご紹介しておきます。これは、私が博士論文を出した後に、同じく図書館史で私の前に博士論文を書かれた吉田氏に対話を申し込んで実現していただいたものです。

研究会をはじめます!

子どものための図書館サービスに関わる、またそのための専門職員の養成に関わる研究会をはじめることにしました。それらのテーマに関わる研究を進めている方に順に研究報告をしていただきます。学会発表のように、発表時間を所与とせず、発表者にもその他の参加者にも有意義な時間となるように、発表者が他の参加者の様子を見ながら発表の長さや内容を調整してもよいこととしたいと思います。そして、ゆっくりと、質疑応答を楽しめればと思います。

 過去3年ほど、立教大学の中で、青栁啓子先生(「児童サービス論」担当)、中山美由紀先生(「読書と豊かな人間性」担当)と、中村(同大司書課程主任)が、水曜日の15時半から17時半ころに、時々集まって、研究会をしてきました。開催の曜日や時間については、当面は同じといたします。場所は、まずは立教大学池袋キャンパスでといたします。しかし、どなたでも参加できることといたします大学の学部生でも中高生でも、上記のようなテーマに関わる研究に関心のある方は参加していただきたいと思います自ら手をあげて、発表者となって、話題提供をしていただけるのならば、それも大歓迎です。なお、コロナ渦を経て、Web会議システムが一般化したため、それを活用し、立教大学の外からも参加していただけるようにしたいと思います。

 参加を希望される方は、renrakusaki★tane.info(★⇒@)に中村宛にメールをくださいませ。入構やオンラインでの参加のご案内をさせていただきますので、どの日にオンキャンパス/オンラインのいずれの方法で参加されたいかをお知らせください(未定のところは未定でよいです)。

日付発表者1(質疑応答含め1時間半)発表者2(質疑応答含め30分)
4/20(水)青栁啓子さん中山美由紀さん(ノンフィクション絵本の現状)
発表スライド最終版(青栁中山
立ち上げ(参加者自己紹介)
5/4(水)遊佐幸枝さん(東京純心女子中学校図書館での実践の変遷(ライフストーリー)をうかがう会)
発表内容については後日なんらかの形で公開します
なし
5/18(水)吉澤小百合さん(探究学習と学校図書館についての研究)
発表スライド共有版
岡島春暉さん
発表スライド共有版
6/1(水)笹岡智子さん(板橋区立いたばしボローニャ絵本館の実践をうかがう会)
発表内容については後日なんらかの形で公開します
なし
6/15(水)福永智子さん(公共図書館の読書相談)
発表スライド
青栁啓子さん中山美由紀さん
発表内容については後日なんらかの形で公開します
6/29(水)杉山悦子さん(歴史研究)大作光子さん
発表レジュメ
7/6(水)片山ふみさん(絵本提供者の意識について)
発表スライド共有版
藤田早苗さん

(中村百合子)

学校図書館研究のための大学院進学

 

立ち上げ人の中村百合子です。私は、立教大学司書課程(図書館司書コースと学校図書館司書教諭コースがあります)の主任をしていますが、立教大学大学院文学研究科教育学専攻でも教えています(私の今の研究を高校生にわかりやすく紹介したウェブページはこちら)。過去にはそれで、主に本学の学部生の司書課程登録生や学部時代に司書課程に登録せずにいて大学院に進学して資格を取り図書館への就職の可能性を探りたい学生から、図書館研究のために大学院進学をすることについて相談を受けてきました。学外からの相談もたまに届きます。そこで、ここに、学部生もしくは学部卒者で、大学院での図書館、主に学校図書館研究を志す方のために、大学院進学についての簡単な情報提供をしてみます。

ポーランドのDolnośląska Biblioteka Publiczna(2017年)

 私自身、大学院から学校図書館研究を志しましたし、図書館研究の世界は、伝統的に、大学院からの進学者に対して門戸を開いている学問領域だと思います。これは、欧米(特にアングロサクソン系諸国)では、図書館情報学は応用科学(applied science)であり[1]、大学院から学ぶことが一般化していることに影響を受けているものと思われます。ですから、大学院から新たに図書館研究(図書館(情報)学)の専攻に移ることは、無理なことではありません。ただ、学部時代に一切の関連知識を得ていなくて(司書資格や司書教諭資格の取得に向けての科目を一切履修していないとか、情報学、メディア学、教育学等を一切学んでいない)、かつ図書館や情報機関、情報産業で働いたこともないという状況で、図書館情報学を大学院で学びたいと考えて入試を受けるとなれば、相当厳しいということは誰にでも想像できると思います。私が知る範囲では、アングロサクソン系諸国の専門職大学院である図書館情報学大学院に進学するのには、学部時代の学修経験の有無は一切、ハードルになりません(今は、本サイトにも記事をあげているように、すべてをオンラインで終えられる専門職養成プログラムも登場していますから、日本から入学して学び、修了することもできます)。しかし、日本では、ゼロから学修をスタートさせるような図書館専門職養成を主たる目的とする大学院は皆無といえ、まったく図書館に関わる学修や勤務の経験のない状態での大学院進学は、私の目にはかなり無謀にみえます。まずは、科目等履修生や通信教育でよいので、少し、図書館について学んでみたり、もしくは図書館で働いてみたりするのがよいと思います。立教大学司書課程も科目等履修生を毎年、2月に募集しています。

 大学院進学の先は、専門課程としては、慶應義塾大学の図書館・情報学専攻と、筑波大学の人間総合科学学術院人間総合科学研究群情報学学位プログラムがまず選択肢になるでしょう。九州大学のライブラリーサイエンス専攻など、それ以外にも図書館情報学(関連)の大学院課程は全国にあります[2]。それから、東京大学の教育学研究科にある図書館情報学研究室京都大学の教育学研究科にある図書館情報学研究室も、研究者養成の色彩が強いと思われますが、選択肢です。学校図書館についての研究ということになると、教育学の中の図書館情報学、さらには教育工学や教育心理学の研究室で学ぶことが大きな選択肢になってきます。そうなれば、東京学芸大学や大阪教育大学の大学院も覗いてみようかなとなりましょう。そうした多くの選択肢の一つが、私のいる立教大学大学院文学研究科の教育学専攻ということになります。

 教育学の中で学校図書館研究をする、その進学先を検討する際には、以下に気をつけてください。

  • 図書館研究者は1名~2名しかいないはずですから、師事したい教員を一人見つけるだけでなく、その他の領域にも学びたい領域や研究者があるかいるかを確かめましょう。大学院修了には、一定単位を修得することが必要ですから、一人の教員だけを目当てに進学先を決めると、進学の後に苦しくなる可能性があります。
  • 教育学も図書館学も、教育や図書館を対象にしていることが前提で、日本の大学院では研究の手法を修得して修士論文を書くことになります(一方でアングロサクソン系諸国の専門職大学院では修士論文を書かない選択肢があります)。つまり、心理学や社会学、史学といった手法を学ぶ必要があります。例えば私の主たる研究手法は史学と(国際)比較図書館学で、特に日本とアメリカ合衆国の(学校)図書館史や両国の(学校)図書館の比較に関心があります。しかし、私の所属する大学院には教育”哲学”、教育”社会学”、教育”心理学”、”比較”教育学等に優秀な教員がいます。また、特に社会学については、社会学部があるので、進学後にそちらの(学部や大学院の)授業を受けることもできます。もし本学大学院文学研究科教育学専攻に進学して学校図書館や図書館を研究したいとなれば、研究手法の第一の選択肢は歴史研究と国際比較研究ですが、それらでなければ他の研究手法を身につけるために大学院では個人的に相当の努力をする必要があります。やみくもに研究の「テーマ」だけを考えていてもだめで、それをどうやって研究するのかという「方法」について考えることが、進学先を決めるときには必要です。これは、図書館情報学の教員が多くいる大学院に進学する場合も考える必要があると思います。研究手法をいかに修得するか、が大学院生活の一大テーマです。

 そして、進学の先の就職先の問題です。今のところ、日本には数百の司書や司書教諭の資格付与を行っている大学が存在します。夏の集中講義や司書講習・司書教諭講習、通信課程もあります。ですから、そのどこかに一コマ二コマと非常勤講師として教える機会があるという話は、修士課程または博士課程を修了すれば聞こえてくると思います。ただし、雇用大学側は採用候補者に、大学院の修了証以外に、しっかりとした論文や著書があること、また/または、図書館現場での経験や実績を求めることがほとんどです。専業の研究者の道はそうした積み重ね(学部卒以降に最低でも10年の精進となりましょう)の先にしかないと言ってよいと思われます。一方で、図書館への正規職の就職では、大学院の学位が採用試験で考慮されることはあると思いますが、それが採用試験の得点に何十点も加点してもらえるような影響力をもつかというと…わかりません。むしろ、非常勤であれ、図書館での現場での経験や実績が、次の図書館への就職においては、大いに評価されるのではないでしょうか。

 しかしそれでも、大学院で図書館について研究する人が増えてほしいし、全体としては増えているというのが私の印象です。Evidence-based librarianshipつまり科学的根拠にもとづく図書館実践が求められていることを、日本でも多くの人が認識しつつあるからだと思っています。政策決定もEBPM(evidence-based policy making)が基本になってきていますね。図書館を変えたい思いは、科学的根拠にもとづいた発言として、より多くの人から表現されるようになってほしいと願っています。(もちろん、これは図書館の思い出や思い入れの表現の価値を否定するものでは決してありません。)

 ところで大学院生活ってどんな?ということを考えるとき、進学を考える大学院の説明会に行ったり、所属したい教員にコンタクトしたりすると思います。ただ、そういう行先個別の話の前に、どんなことが期待されているのかなあという姿勢のようなことも考えてみてほしいです。大学院という世界を想像せずに、学部の授業に出席していた時の感覚でいると…かなり違う世界が待ち受けています。理系の先生方の中には、ゼミや研究室の選択の参考になる情報をよく整理してウェブページで公開しておられる方がおられます。その中でも、(学校)図書館の研究を大学院でするかを考えるときにも参考になるだろうと私が思った三つのサイトを以下にリンクしておきます(並び順は単に私が読んだ順です)。


[1] このこと、筆者のプライベートのブログにチラっと書いたことがある

[2] 図書館情報学の専門課程については、歴史の話が中心になっているが、吉田右子「第1章 図書館情報学専門課程の変遷:組織改革を通じた学の模索」『図書館情報学教育の戦後史:資料が語る専門職養成制度の展開』中村百合子,松本直樹,三浦太郎,吉田右子編著,ミネルヴァ書房,2015,viii, 1039 p., p. 53-103. が参考になる。

国際児童文学論の授業開発

年が明けましたところで、オンライン国際シンポジウムへのお誘いです。今月28日(金)朝5時から7時(日本時間)に、Road to the Future: Discussion for Developing the International Children’s Literature Courseと題したシンポジウムを開催します。登壇者やプログラム、参加のお申し込みについては右のチラシをクリックしてください。使用言語は英語です(日本語への当日の通訳はありません)。

 このシンポジウムは、2019年の8月に札幌で実施した、「Road to the Future: School and Children’s Librarianship 子どものための図書館サービス専門職養成の国際動向」と題したシンポジウムの続編です。この時のシンポジウムの内容は本サイトTANE.info【連載】世界最先端の図書館・情報スペシャリスト養成として報告していますが、アメリカ合衆国、カナダ、スペイン、そして日本の私たちが学校図書館と児童サービスの専門職養成の実際を報告しあいました。シンポジウムの後、登壇者のあいだで、互いの教育実践の向上のためになんらかの協力ができないかという話になりました。ざっくばらんな意見交換をとおして、特に児童文学という、養成や図書館サービス以上にすでに国際的な交流(流通)が起きている存在が、養成における国際連携を検討するテーマに最もふさわしく、またそこにいた全員が比較的わかりやすい形で利益を期待できるのではないかということになりました。

 そのようなシンポジウム後の意見交換をベースに、国際児童文学論の国際的な協働によるシラバス及び授業実践の開発を実現しようと、2019年の秋以降、メールやオンラインの面談で意見交換を続けてきました。しかしコロナ禍に見舞われたこと、またおそらくそれ以上に、学年暦が異なる私たちにとって、シラバスを書き実際に授業を担当するという教育実践のサイクルや忙しさのピークのずれが、思いのほか議論の進展と意見の取りまとめの障害になりました。2019年のシンポジウムで互いの養成制度はわかったものの、それぞれの教員が実際にどのような授業実践をしているのかをよく知らないことも、シラバス執筆や授業実践での協力を難しくしていると実感されました。そこで改めてシンポジウムの機会をもち、それぞれの大学院や大学での児童文学に関わる授業実践を報告しあい、それぞれの授業実践の特徴や児童文学の国際性へのアプローチの違いを認識し、協働への手がかりを得ることを目指すことしました。

 北米の児童サービスや学校図書館サービスの担当者の養成においては、外国や異文化に関わる資料は、長年、児童・ヤングアダルト向け多文化資料(multicultural resources for children and young adults)という取り上げ方が一般的だったと思います。日本ではそのような見方はむしろ稀で、海外の児童文学、国際児童文学といった語られ方が広まっていたと思います。ただ、英語でも近年はinternational children’s literature(国際児童文学)という議論が見られるようになってきていて、そのような角度からの児童文学の取り扱いへの関心が高まりつつあることが、この日、北米からの登壇者たちがこのテーマでのさらなる協働に積極的になった背景としてあったと思います。

 これに先立ち、筆者は今学期、勤務先の立教大学で、選択科目の「図書館情報資源特論」を使い、国際児童文学論に学生たちとともに取り組んでいます。結果、本学の司書課程では今年度、児童文学が、春学期に図書館司書コースで「児童サービス論」(担当・青栁啓子兼任講師)、秋学期に学校図書館司書教諭コースで「読書と豊かな人間性」(担当・中山美由紀兼任講師)と図書館司書コースで 筆者が担当する「図書館情報資源特論:国際児童文学論」という三科目で取り扱われました。児童文学や子どものための図書館サービスにかかわる専門性をいかに育むかというとき、このようなアプローチは少なくとも北米の図書館情報学大学院では取られないと思います。本質的に、また各国の制度上、さらには授業実践の国際連携を視野に入れるとき、どのようなアプローチが適切なのか、国際的な議論をとおして、改めて考えてみたいと思います。

(文責・中村百合子)

Editor’s Bookshelf 1『公共図書館を育てる』

図書館の経営に必要な資質、知識や経験とはどのような範囲なのだろうか。どんな人が館長に最適の人物なのだろうか。そもそも何が図書館経営における”成功”や“達成”とはどのようなものなのか。…私は昨年度まで3年間、大学図書館のマネジメントに関わり、その間、経営(学)の本をいろいろと読み、 しばしば苦しみながら、 また楽しみながら、このことをずっと考えていた。

 米国では、大学図書館の館長(University LibrarianとかDean of Librariesとか言われる)は、慣例的にその大学を代表するような研究者が退職前の数年を務めるか、もしくは大学図書館で活躍してきたライブアリアンが採用される。情報メディア環境が複雑化し、図書館経営も、図書館や情報メディア等に関する専門的な知識や長年の経験が必要と考えられるようになって、ライブラリアンが館長になっている例は増えているように思われる。大学図書館に勤務するライブラリアンの中には、管理職に就くことを考えると、図書館情報学の博士号ではなく、経営学修士(Master of Business Administration)を取るのが有用と判断する人も増えていると聞く。もちろん、彼らは、ライブラリアンとして採用される以前に図書館情報学修士号や、ある学問分野の修士号または博士号を取得しているのがふつうだと思う(ちなみに私が務める立教大学司書課程の特任教授の小牧龍太先生も、コミュニケーション学で博士号(PhD)を取得後に大学図書館に勤務されていた)。そうか…経営学をもっともっと学べばいいのか?それで素晴らしい図書館長として準備がある程度、できるのか??

 永田治樹先生(筑波大学名誉教授)がこのたび『公共図書館を育てる』(青弓社, 2021)を出版された。永田先生は本学司書課程の二代前の特任教授で、本学を退職された後に、未来の図書館研究所の所長になられた。本学で公共図書館の司書の養成を中心とする司書課程の教員をされるようになって、大学図書館の研究をしておられたところから、ものすごいバイタリティを発揮されて、公共図書館の研究をはじめられた。もともとのご関心は、図書館経営論(日本図書館協会のテキストシリーズで『図書館経営論』(2011))や『図書館制度・経営論』(2016)を編集しておられる)や情報資源組織論(『日本目録規則 2018 年版』編纂時の委員長でいらした)だったと思う。それに、”未来の”図書館と言ってどっぷり“歴史”の研究をするはずもない(笑)。というわけで、公共図書館についても経営論として、また地域の情報資源の形成・組織論として、国外の公共図書館の調査もしながら、見解をまとめられていったと思う。それが今回、このご本でひとつの形になったということと理解した。

 永田先生はこの本の構成と趣旨について、「まえがき」で整理しておられ、続く第1章~第3章を中心に、「まえがき」に示された趣旨でよく整理された議論がある。が、ここで私は、著者の永田先生が書かれた趣旨をそのまま正確に理解し受けとめようという姿勢ではなく、いくらか逸脱があるだろうが、失礼を承知で、同書一冊を通読して私が理解したことを私の言葉で極端に簡単にまとめながら、短く読後感を述べてみたいと思う。

 日本は今、“下り坂をそろそろと下”っているところ、もしくは“移行期的混乱”の時代である。そうした経験を、産業革命や資本主義が世界に先駆けて発展したイギリスは日本よりも数十年早く経験している。そして、公共図書館の発祥の地(の一つ)であり、1970年代以降の日本の公共図書館のモデルとなったイギリスの公共図書館は、1970年代後半以降、経費削減をされはじめ、サッチャー政権の新自由主義の方針のもとに公共サービスの規制緩和がはじまり、それが21世紀に入って以後、公共図書館の大量閉館、そして行政機関が直接的に関わらない、地域の人びとによる「コミュニティ図書館」の開館・経営の広まりなどへと展開した。それは、評価として必ずしも低くはなく、コミュニティのニーズに合致した、総合的にみてすぐれたサービス提供ができているという評価もある。つまるところ、イギリスという公共図書館を発明した国(の一つ)は、人びとの図書館理解の底力があって、今、公共図書館を再発見しようとしている。そして、実は類似の動きは、ヨーロッパの各地、例えばオランダ、デンマーク、フィンランドにも見られる。それらの経営実態と、それに基盤を提供している各国の制度や経営論はさまざまであるが、おそらく経済的な成長や豊かさとは異なる幸せを求める価値観の中で図書館がコミュニティの多くの人びとそれぞれにとってなんらかの角度から魅力的な場になっている。図書館サービスはデジタルへの転換や統合による変容が起きており、またそれは総合的にコミュニティと公共図書館の関係を改めて問うており、場合によっては両者の関係の再構築を要求している。ひるがえって日本の公共図書館を見てみたとき、実は生き生きした図書館(とそれらの存在するコミュニティ)や図書館関連のサービスは、北海道の幕別町図書館や岩手県の紫波町図書館、そしてカーリルなどなど、欧州同様に、過去の日本の公共図書館とはだいぶ異なる発想で、独自のアプローチ、経営の実態がこの十年くらいの間に生まれている!(未来の図書館研究所もこうした動きの一角にあるということかな。)この最後の、日本の公共図書館経営の新しい、多様なあり方は、図書館で働いてきた人たちではなくて、違う分野から来て、図書館のやっていることを見て、「なぜ」「なんで」が尽きなかったような人たちが、楽しむ気もち、前向きな発想をもって、実現している。

 公共図書館とは、大学図書館また学校図書館は異なる環境(制度や文化等)の中に置かれてはいるが、大学図書館の経営にいくらか携わってみた者として、また学校図書館の研究者として、この本には刺激を受けた。欧州の先進諸外国とともに日本も戦後の60年、70年とは異なるフェーズに入ったことにともなって、公共(的な)サービスの経営が根本から問い直されつつある。財政とテクノロジーがわかりやすく破壊的な影響を及ぼしている。何が理論的に、また実際の図書館経営の進め方として、鍵になるのかなあと読み終わった今、私は考えている。”よそ者?”は一つの重要な鍵のようだ。

 変化を楽しむことを自ら進んで行う人が、そのコミュニティに受けいれられるかたちのリーダーシップを発揮して、コミュニティの人びとに問いかけ、聞きながら、いっしょに新しいものを作りあげることを楽しんで行っていく、というのが、本書の各所で語られていた変革のかたちのだと思う。ただ、それはわかるのだが、大きな理論や語りでは見えづらくなるが、経営は現実としては、細かな人間関係の積み重ねのようなところがある。そのあたりの生々しいところ、あまりにも個別の背景がたくさんあろうところは、こうした本でいくらかは語られていても、実際に自分が経営に関わろうとすると、人間力が試されるというのか、ほんとうに難しく、一筋縄ではいかない。そうした困難は変革の管理(チェンジマネジメント:change management)としてまとめる経営学のモデルなどもあるが、その取り組みが図書館の世界に足りないのだろうか?

 一方で、私はこれまで米国に関心をもってきたので、北米の図書館経営と、欧州の図書館経営は、だいぶ違うなというのももう一つ、思ったところ。おそらくこれには職員制度、養成制度の違いもいくらか影響している。改めて、北米の専門職団体であるアメリカ図書館協会(ALA)のパワーと、特に米国のライブラリアンの団結が世界で際立っているような気がしてきた。言い換えれば、米国のプロフェッショナル社会が特殊であるということかな…そのプロフェッショナル文化を愛してきた私は少し寂しいような…

(中村百合子)

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