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Editor’s Bookshelf 1『公共図書館を育てる』

図書館の経営に必要な資質、知識や経験とはどのような範囲なのだろうか。どんな人が館長に最適の人物なのだろうか。そもそも何が図書館経営における”成功”や“達成”とはどのようなものなのか。…私は昨年度まで3年間、大学図書館のマネジメントに関わり、その間、経営(学)の本をいろいろと読み、 しばしば苦しみながら、 また楽しみながら、このことをずっと考えていた。

 米国では、大学図書館の館長(University LibrarianとかDean of Librariesとか言われる)は、慣例的にその大学を代表するような研究者が退職前の数年を務めるか、もしくは大学図書館で活躍してきたライブアリアンが採用される。情報メディア環境が複雑化し、図書館経営も、図書館や情報メディア等に関する専門的な知識や長年の経験が必要と考えられるようになって、ライブラリアンが館長になっている例は増えているように思われる。大学図書館に勤務するライブラリアンの中には、管理職に就くことを考えると、図書館情報学の博士号ではなく、経営学修士(Master of Business Administration)を取るのが有用と判断する人も増えていると聞く。もちろん、彼らは、ライブラリアンとして採用される以前に図書館情報学修士号や、ある学問分野の修士号または博士号を取得しているのがふつうだと思う(ちなみに私が務める立教大学司書課程の特任教授の小牧龍太先生も、コミュニケーション学で博士号(PhD)を取得後に大学図書館に勤務されていた)。そうか…経営学をもっともっと学べばいいのか?それで素晴らしい図書館長として準備がある程度、できるのか??

 永田治樹先生(筑波大学名誉教授)がこのたび『公共図書館を育てる』(青弓社, 2021)を出版された。永田先生は本学司書課程の二代前の特任教授で、本学を退職された後に、未来の図書館研究所の所長になられた。本学で公共図書館の司書の養成を中心とする司書課程の教員をされるようになって、大学図書館の研究をしておられたところから、ものすごいバイタリティを発揮されて、公共図書館の研究をはじめられた。もともとのご関心は、図書館経営論(日本図書館協会のテキストシリーズで『図書館経営論』(2011))や『図書館制度・経営論』(2016)を編集しておられる)や情報資源組織論(『日本目録規則 2018 年版』編纂時の委員長でいらした)だったと思う。それに、”未来の”図書館と言ってどっぷり“歴史”の研究をするはずもない(笑)。というわけで、公共図書館についても経営論として、また地域の情報資源の形成・組織論として、国外の公共図書館の調査もしながら、見解をまとめられていったと思う。それが今回、このご本でひとつの形になったということと理解した。

 永田先生はこの本の構成と趣旨について、「まえがき」で整理しておられ、続く第1章~第3章を中心に、「まえがき」に示された趣旨でよく整理された議論がある。が、ここで私は、著者の永田先生が書かれた趣旨をそのまま正確に理解し受けとめようという姿勢ではなく、いくらか逸脱があるだろうが、失礼を承知で、同書一冊を通読して私が理解したことを私の言葉で極端に簡単にまとめながら、短く読後感を述べてみたいと思う。

 日本は今、“下り坂をそろそろと下”っているところ、もしくは“移行期的混乱”の時代である。そうした経験を、産業革命や資本主義が世界に先駆けて発展したイギリスは日本よりも数十年早く経験している。そして、公共図書館の発祥の地(の一つ)であり、1970年代以降の日本の公共図書館のモデルとなったイギリスの公共図書館は、1970年代後半以降、経費削減をされはじめ、サッチャー政権の新自由主義の方針のもとに公共サービスの規制緩和がはじまり、それが21世紀に入って以後、公共図書館の大量閉館、そして行政機関が直接的に関わらない、地域の人びとによる「コミュニティ図書館」の開館・経営の広まりなどへと展開した。それは、評価として必ずしも低くはなく、コミュニティのニーズに合致した、総合的にみてすぐれたサービス提供ができているという評価もある。つまるところ、イギリスという公共図書館を発明した国(の一つ)は、人びとの図書館理解の底力があって、今、公共図書館を再発見しようとしている。そして、実は類似の動きは、ヨーロッパの各地、例えばオランダ、デンマーク、フィンランドにも見られる。それらの経営実態と、それに基盤を提供している各国の制度や経営論はさまざまであるが、おそらく経済的な成長や豊かさとは異なる幸せを求める価値観の中で図書館がコミュニティの多くの人びとそれぞれにとってなんらかの角度から魅力的な場になっている。図書館サービスはデジタルへの転換や統合による変容が起きており、またそれは総合的にコミュニティと公共図書館の関係を改めて問うており、場合によっては両者の関係の再構築を要求している。ひるがえって日本の公共図書館を見てみたとき、実は生き生きした図書館(とそれらの存在するコミュニティ)や図書館関連のサービスは、北海道の幕別町図書館や岩手県の紫波町図書館、そしてカーリルなどなど、欧州同様に、過去の日本の公共図書館とはだいぶ異なる発想で、独自のアプローチ、経営の実態がこの十年くらいの間に生まれている!(未来の図書館研究所もこうした動きの一角にあるということかな。)この最後の、日本の公共図書館経営の新しい、多様なあり方は、図書館で働いてきた人たちではなくて、違う分野から来て、図書館のやっていることを見て、「なぜ」「なんで」が尽きなかったような人たちが、楽しむ気もち、前向きな発想をもって、実現している。

 公共図書館とは、大学図書館また学校図書館は異なる環境(制度や文化等)の中に置かれてはいるが、大学図書館の経営にいくらか携わってみた者として、また学校図書館の研究者として、この本には刺激を受けた。欧州の先進諸外国とともに日本も戦後の60年、70年とは異なるフェーズに入ったことにともなって、公共(的な)サービスの経営が根本から問い直されつつある。財政とテクノロジーがわかりやすく破壊的な影響を及ぼしている。何が理論的に、また実際の図書館経営の進め方として、鍵になるのかなあと読み終わった今、私は考えている。”よそ者?”は一つの重要な鍵のようだ。

 変化を楽しむことを自ら進んで行う人が、そのコミュニティに受けいれられるかたちのリーダーシップを発揮して、コミュニティの人びとに問いかけ、聞きながら、いっしょに新しいものを作りあげることを楽しんで行っていく、というのが、本書の各所で語られていた変革のかたちのだと思う。ただ、それはわかるのだが、大きな理論や語りでは見えづらくなるが、経営は現実としては、細かな人間関係の積み重ねのようなところがある。そのあたりの生々しいところ、あまりにも個別の背景がたくさんあろうところは、こうした本でいくらかは語られていても、実際に自分が経営に関わろうとすると、人間力が試されるというのか、ほんとうに難しく、一筋縄ではいかない。そうした困難は変革の管理(チェンジマネジメント:change management)としてまとめる経営学のモデルなどもあるが、その取り組みが図書館の世界に足りないのだろうか?

 一方で、私はこれまで米国に関心をもってきたので、北米の図書館経営と、欧州の図書館経営は、だいぶ違うなというのももう一つ、思ったところ。おそらくこれには職員制度、養成制度の違いもいくらか影響している。改めて、北米の専門職団体であるアメリカ図書館協会(ALA)のパワーと、特に米国のライブラリアンの団結が世界で際立っているような気がしてきた。言い換えれば、米国のプロフェッショナル社会が特殊であるということかな…そのプロフェッショナル文化を愛してきた私は少し寂しいような…

(中村百合子)

知床連山。今から三世代前Pixel(3a)でふつうに撮って、なにも編集しなくてもこういう写真になるとテクノロジーの進歩に驚愕する…
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