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生徒の問いを言語化する

放送大学の塩谷京子です。ここでは、探究のプロセスを切り口として、毎回一つのトピックをもとに、学校現場のエピソードを交えながら連載しています。読者の皆さんが、探究のプロセスと日々の授業とをつなげて考えてみる機会になるようなトピックを、毎回選んで書いていきます。

 第2回のトピックは、「生徒の問いを言語化する」です。

 今回は「課題の設定」の過程を重視している高等学校の現場から、問いを言語化する授業場面でのエピソードを紹介し、生徒を取り巻く情報社会の一端を垣間見てみようと思っています。

 今や、スマホがなかったときを思い出すのも難しいですが、スマホで情報検索ができなかった頃、どのように情報を得ていたのでしょうか。テレビやラジオを見たり聞いたりした、書店で立ち読みをした、学校の図書館や公共図書館で調べたなど、昔の記憶が蘇ってきたでしょうか(物心ついたときにはスマホを使っていたという年齢の方は、いつのことなのかと不思議に思うかもしれません!)。スマホがない頃、知りたいことがあるときには、誰かに尋ねる、読んで調べるなど、自分で行動を起こす必要がありました。自分の考えを表現しようとしたら、情報に辿り着くまでに想像できないほどの時間や労力を使っていたのです。

 しかし、今は、どうでしょうか。スマホからは、雪崩のように情報がやってきます。そして、その情報に乗っかるように発信者の考えも一緒にやってきます。例えば、スマホを見ていたら、「こもる生活 家電好調」という見出しが目に入ったとします。この見出しを見た瞬間、皆さんはどういう行動をとるでしょうか?

その1 自分には関係ない、興味がないから、スルーする。

その2 何となく興味があるから、クリックする。

 瞬間的にスルーしたりクリックしたりすることは、当たり前の行動様式になっています。クリックしたとき、読み手に入ってくるのは事実だけではありません。そこには、「家電好調の背景にはこもる生活がある」という発信者の考えが反映され、発信者の考えも事実と同時に読み手に届けられているのです。ですから、「家電好調 こもる生活」ではなく、「こもる生活 家電好調」と、意図的に配置されています。このように、今の子供たちは、事実と意見を同時に手に入れることができる環境で生活をしているのです。

 「考えは多くの事実を得てから生まれるものである」とか、「考えを作ったり話したりするのは難しい」というのは、スマホがない時代には当てはまりますが、今を生きている子供たちには、意外と当てはまらない場合が多いのです。複数の根拠、確固たる事実を自分がもっていなくても、例えば「オリンピック開催に賛成」「開催には反対」と言えてしまう、このような環境の中で大人も子供も生活しています。

 高校2年生の「総合的な探究の時間」(注1)を担当している Y 先生は、自分のテーマを決めようとするとき(注2)、生徒が最初に書く言葉は、大きく二つに分かれると言います。皆さんは、これらの言葉を聞いたとき、生徒の問題意識をどのように捉えますか、そして、生徒自身が1年間探究するに値する問いを作るところまでどのような支援をすると考えますか。

一つは、「モテたい」というように、現実的な、身近な言葉です。

もう一つは、「地球温暖化」など、世間一般でよく見かける言葉です。

生徒の足りない視点を補いながら、
問いをつくる支援をしている Y 先生

Y先生は、両者を視野に入れた上で、支援の仕方を変えていると話していました。後者の言葉からスタートする生徒には、「地球温暖化」という言葉と自分との結びつきが弱いので、「地球温暖化とどんなつながりがあるの?」「なぜ地球温暖化は、自分にとって問題なの?」などと問い、自分とのつながりを言語化していく対応をしています。前者の言葉からスタートする生徒には、「どういうとき、モテたいと思った?」というように、経験を問い、例えば、モテたい→見た目重要→男女平等→ジェンダーというように、経験を少しずつ抽象化していく対応をしています。

 前者の生徒は、興味・関心のあるピンポイントからスタートしているのに対し、後者の生徒は、世間一般で言われている情報や小中学校で学んだ知識をもとに言葉を選んでいます。いずれも「モテたい」という自分の考えや、「地球温暖化」が現代社会の問題であるという考えを述べていることは同じです。つまり、生徒は考えを言葉で表現できてしまうのです。しかし、自分自身とのつながり(動機)や言葉の定義や使われ方などが曖昧であることから、それぞれに応じた対応をしていることが、このエピソードから見えてきました。

 生徒が探究の過程を貫くテーマを決めるとき、自身の中にある考えに向かう「問い」を文にして、自分だけでなく伝える相手にもわかるように表すことが必要です。そのためにY先生は、現代社会に生きる生徒がどのように「情報」と接しているのかを受け留め、生徒が足りない視点を補いながら支援をしていました。問いを言語化することは、各教科の授業でも行われています。第3回は、小学校でのエピソードをもとに、子供と共に問いを作り解決する授業を見ていこうと思います。


(注1) 小中学校では「総合的な学習の時間」に対し、高等学校では「総合的な探究の時間」です。「総合的」「時間」は同じですが、「学習」「探究」という点が異なります。それぞれの目標は、以下の通りです。
 「総合的な学習の時間」の目標:探究的な見方・考え方を働かせて、横断的・総合的な学習を行うことを通して、よりよく課題を解決し、自己の生き方を考えていくための資質・能力を次の通り育成することを目指す。
  「総合的な探究の時間」の目標:探究の見方・考え方を働かせ,横断的・総合的な学習を行うことを通して、自己の在り方生き方を考えながら、よりよく課題を発見し解決していくための資質・能力を次のとおり育成することを目指す。

(注2)Y先生の高校では、テーマの設定で1学期間を費やすそうです。似たテーマの生徒同士でグループを作り、テーマに関する基本情報を複数の書籍などから収集した上で、研究計画を立案して夏休みに入ります。

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