なぜ「探究」が注目されているのか
南山大学の浅石卓真です。この連載では、TANE.infoのテーマである「探究」と、メディア(教材)や学校図書館との関係について情報発信していこうと思います。第 1 回は、「探究」について考えようと思います。学校教育で「探究」が重視されるようになってきたことは、教育関係者の書籍や文部科学省の文書などでもよく指摘されていますが、今回はもう少し俯瞰的な立場から、すなわち過去数世紀の学校教育の世界的な潮流の中で、探究という活動がなぜ注目されるようになってきたかを振り返って整理しようと思います。なお、以下の記述の一部は、根本彰の『アーカイブの思想:言葉を知に変える仕組み』(2020)中の第7講「カリキュラムと学び」(p.159-184)を下敷きにしていますので、もっと詳しく知りたい方はご参照ください。
学校の起源は古代まで遡ることができますが、現在につながる公教育制度としての学校は、 18 世紀から 19 世紀のヨーロッパで誕生しました。その背景には、産業革命後の社会では一定レベルの教育が労働者にも必要になったこと、そして、市民革命後の国民国家にとって国民という意識を人々に浸透させる必要があったことがあげられます。そのため多くの国では初等教育は義務教育とされ、教師中心の詰め込み的な一斉教授によって労働力として必要な読み書きや科学的知識、そして国家主義的な道徳が指導されました。学校教育には、国家に従順で良質な労働力を養成することが求められたわけです。
19 世紀末になると、そのような教師中心の詰め込み的な教育方法は批判され、児童・生徒の自主性を重んじた教育方法が提案されるようになります。この教育改革は新教育運動と呼ばれ、 20 世紀初頭から世界的に広がりました。当時の新教育運動の代表的な論客であるJ.デューイは、児童・生徒が生活や労働を通じて自ら学ぶことを重視した教育実践を行い、それを『学校と社会』という本にまとめています。そこでは、児童・生徒が直接的な経験を、書物や文献資料を読むという間接的な経験で確認することが想定されています。このように学習者ひとり一人の経験から始まり、他者と議論したり文献を読解したりすることを通じて学習していくという方法は、経験主義と呼ばれます。
経験主義はその後、学習者の心理面に関心を寄せる心理学者の理論を取り入れながら、20 世紀後半には構成主義(構築主義)へと変化していきます。構成主義は典型的には、児童・生徒が自ら知識を構築していくことで学ぶという方法であり、そこでよく行われるのが「探究」です。探究による学習では、学習者が自ら解決すべき課題を選択して解決に必要なデータや情報を集めたり、実験観察を行い、それを口頭発表したり文章にまとめたりします。探究による学習では児童・生徒が他者の言葉を参照しながら学ぶため、様々な文献を用意する必要があります。
そして構成主義が、 20 世紀末からの新自由主義的な経済思想や、そこで個人に求められる学力観にも追い風を受けて、国際的に浸透しているのが現在です。例えば経済協力開発機構(OECD)では 2000 年以降3年に一度、15 歳を対象とした国際学力調査(PISA)を行なっていますが、そこでは文章や図表を読み取り自分で考え、表現することが重視されています。またグローバル化の進展もあり、国際的に通用する大学入学資格として国際バカロレア(IB)が近年注目されていますが、 IB 認定校では論文を書いたり口頭発表を行ったりします。ここでは多くの科目で探究による学習を重視しており、学習のための資料やメディアが常に必要とされ、学校図書館が必ず設置されています。
以上のように、近代以降の学校教育は、教員による知識伝達を中心としたものから、児童・生徒の直接的・間接的な経験を重視する経験主義へ、そして児童・生徒が自ら知識を構築する構成主義へと変化してきました。それに伴って、児童・生徒が自ら設定した課題を解決することで学ぶ「探究」という活動が重視されてきた、と一応整理できます。日本では戦後の占領期にアメリカ軍によって経験主義が本格的にもたらされ、高度成長期にいったんは知識注入型の教育への揺れ戻しが起こりましたが、 1980 年代頃に産業社会から知識社会へ移行するのに合わせて、再び自主的・自発的な学習が重視されるようになりました。 2000 年代からは「生きる力」「主体的・対話的で深い学び」などをスローガンにして、問題解決能力を育成するために探究的な学習が進められています。
しかし、日本の学校現場において「探究」はまだ十分に普及しているとは言い難い状況にあります。その要因の一つは、日本の入試にあると思われます。現在でも高校受験や大学受験では、依然として教科書の内容を一通り学ぶことが要求されており、そこでは自ら問いをたてて調査したり実験したりする活動はどうしても隅に追いやられてしまうからです(根本,2017,p.176) 。それを裏付けるように、例えば 2016 年のベネッセによるアンケート調査では、「総合的な学習の時間」で探究的な学習を行なっている高校教員は全体の 42%、担当の教科・科目で行なっているのは 25% に留まっています(ベネッセコーポレーション,2016,p.2-3)。
ただし近年、そのような日本の入試にも変化の兆しが見えてきました。例えば、難関国立大学の学校推薦型選抜入試において、高校での探究学習の内容や執筆した論文を書類として提出することが求められるようになってきました。これにより、受験に対応するために知識の詰め込みを重視してきた進学校でも、探究的な学習に積極的に取り組みことが不可避となりつつあります(高橋亜希子,2020) 。日本の学校教育は、 20 世紀からの世界的な教育方法の転換の中で、本格的に変わりつつある時期にあると言えます。以上のような前提のもと、次回は日本の学校教育における「探究」の中身について、時系列に沿ってもう少し説明したいと思います。
参考資料:
- 根本彰(2020)「カリキュラムと学び」『アーカイブの思想:言葉を知に変える仕組み』みすず書房, 2020, pp. 159-184.
- 根本彰(2017)『情報リテラシーのための図書館:日本の教育制度と図書館の改革』みすず書房, 2017. 引用は p. 176.
- ベネッセコーポレーション(2016)「生徒・教師・教科がつながる探究学習」『VIEW21 高校版』p. 2-3.
- 高橋亜希子(2020)「新高校学習指導要領と探究学習:難関大学への別ルートになりつつある探究学習」『アカデミア. 人文・自然科学編』 no. 19, p. 31-43.
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